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はぐれ賢者と野良女神-神には神を- 23
  

 

 

 

 四人は崩れた正門をくぐり灰色の石で出来た城内へと入った。コウガが先頭を案内し、それにツバキ、ミレイズ、セシウスの順で続く。

 レヴェンドルク城内の状態も、街と変わらずひどいものだった。

 通路のサイズはブルーオーガには狭すぎる。だから案外無事なのではないかという期待もあったのだが、ブルーオーガはそれでも強引に中を探索したらしい。扉という扉は周囲の壁ごとぶち抜かれ、内装も滅茶苦茶に破壊されていた。場所によっては外壁も崩され、まったく日に焼けていない石壁が朝日にさらされていたりもした。

 歴史ある石造りの城は、その歴史を染み込ませた分だけ黒ずんだ箇所や傷がいくつもあり、そのせいもあってまるで100年前に滅びた廃墟のようだった。ほんの数日前まで平穏な日常があったとはとてもじゃないが想像出来ない。

 ブルーオーガの族長を倒した四人は、ひとまず住民が避難しているという地下への通路を確認することにした。もし市民に危険が迫っているなら何よりも優先して対応する必要がある。

 コウガもツバキも、盲目のオーガを倒してからほとんど言葉を発しなかった。その雰囲気を(珍しく)考慮したのか、ミレイズはセシウスに体を寄せると小声で話しかけた。

「結局、あいつらって変な宗教にはまっちゃったってこと?」

 ツバキがちらりと振り返る。

 どんなに近くで小声といっても、音といえば足音と緩やかに吹き込んでくる風くらい。聞こえて当然だ。

 セシウスはどう返していいか頭を悩ませた。この答えはとても繊細で、先を歩く二人の気分をこの上なく害するかもしれない。しかし、ミレイズの前髪の隙間から覗く振り返りながらの上目遣いを――その澄み切った瞳を向けられると、どうにも無碍(むげ)に出来ないのが悲しい性(さが)だった。

「たまたま知性の高い個体が生まれて族長(アークブルー)となり、そいつが信奉する『神』とやらに捧げるために人を襲いだした。そう考えれば、人里までやってきた理由にはなるだろうな」

 言語を自由に操るどころか、魔法まで行使した。ブルーオーガがそれだけの知能を手に入れるのは相当なイレギュラーだ。

「だが、どうして人間じゃなければいけなかったのかがはっきりしない。フィヨルド・シルバーホーンのように氷河には巨大な体躯の、ある意味よほど『供物らしい』魔物がいくらでも生息しているのに、なぜ人間を狙ったのかだ。そもそも人とどこで接触した? 氷河の周辺に人が住んでいるわけがないから、あるとしてもごくまれにシーカーと出くわすくらいしかないだろう」

「そのゴクマレなシーカーと何かあったのかしら?」

「さぁな。そこまでいくと、もう材料がなさすぎる」

「それか他の……」

 ミレイズは途中まで言い掛けてやめた。口をつぐむと、何事もなかったかのように前に向き直った。セシウスもその判断は正しいと思った。

 ミレイズが言おうとしたのは、ブルーオーガに『人間を捧げろ』と唆(そそのか)した存在がいる可能性だ。その可能性を排除することは出来ないが、今いくら考えても妄想の域を出ない。悪い想像に悶々とするだけで誰も得をしない。

「待て」

 先頭のコウガが止まり、右手を背後のツバキに向けて開いた。

「敵?」

 すかさず前に出ようとしたミレイズの左手首をセシウスはとっさに掴んで止めた。ほとんど反射的な行動だった。

 コウガから瞬時に立ち昇った『赤黒い感情』を視て、そうすべきだと判断した。

 先にあるのは、城の玄関口に当たる吹き抜けの広間だった。左右の壁には廊下につながる通路があり、正面を奥に進むと2階へ上がるための階段がある。吹き抜けは3階までで、見上げれば遠い天井に魔法のランプ(一抱えほどある白く濁った水晶球)がいくつも吊されていた。

 その部屋の中央に、木材を積み重ねたような黒い山があった。何かをまとめて燃やしたようにも見える。

 そこまで確認して、セシウスは不思議そうに自分を見ているミレイズを強引に自分の後ろに引っ張り戻した。コウガも後ずさるように下がると、腕で押すようにしてツバキを下がらせる。その身体で彼女の視界を塞ぎながら。

 コウガとセシウスが並ぶ位置になった。そうしてやっと、セシウスにも目の前にあるものがはっきりと見えた。予想していたとはいえ、それは直視に耐えるものではない。

 

 死体の山だった。

 

 そこに積み上げられていたのは、かつて人の形をしていたはずのものだった。それは圧倒的な暴虐によって補食された人々の一部が集められた――おそらくは、奴らにとってのゴミ置き場であったのだ。逃げ遅れ、敵に捕まった住人たちの成れの果てである。

 セシウスは思わず全身を震わせた。背筋を泡立つような悪寒が走る。セシウスもこれまでの人生でその若さにしては実に様々なものを見てきたが、ここまで露骨な惨劇はそうそうお目に掛かるものではない。

 ――死体の感情が見えなくて良かった。

 あり得ないと知りつつ、そう思ってしまうほどに。

 コウガは地の底を打つかのような悲しみに、天をも裂くかのような激しい怒りを発していた。決して叫びはしない。背後にいる娘にその憤怒を悟らせもしない。しかし、その額と眉間に深く皺を寄せ、殺気さえ放ちながら同胞の骸を見つめていた。

「セシウス」

「見るな。お前たちは」

 自分の感情がコウガの感情に汚染されつつあるのを感じながら、セシウスは声を振り絞る。

「セシウス、私だってもう――」

「頼む。見ないでくれ」

 ミレイズの言いたいことはよくわかっていた。ミレイズに見て欲しくないという想いが自分勝手なものだということも重々承知していた。それでも、ミレイズにはこんな『醜い現実』を見せたくなかった。

「……わかった。でもそうしたいならその漏れ出ているのをなんとかしなさいよ」

 ため息混じりにそう返されて、セシウスは詰めていた息を吐いた。それから深呼吸し、のたうつ感情の波を制御する。

「……迂回しましょう。外郭を回って聖堂から入ります」

 コウガの提案に反対する者はいなかった。ツバキもそこに何があるか、もう想像はついているだろう。それでもコウガは何があっても見せようとはしない。ツバキも見せろとは言わないし、見ようともしなかった。

 父の背中に何を感じたか。

 ツバキは唇を噛んでうつむくと、誰よりも先にそのまま来た道へと踵(きびす)を返した。

 

 ところどころ崩れたところがある城の壁に沿って四人は進んだ。街の中央にある城を西へ行くとすぐ、同じほど大きな聖堂がある。建物の中心になるにつれて階数が上がっていく城と比べて、ドーム状の屋根を持つ大きな箱として作られた聖堂の方が、純粋な内部の空間としては広そうだ。聖堂も石造りだが、使っている石が異なっていて、多少年月の経過を感じさせるものの灰色の城と比べて全体的に白色が目立つ。その屋根から伸びる尖塔には大きな鐘が吊されており、恐らくそれがこの街の時を告げていたのだろう。

 城と聖堂は内部で繋がっており、コウガはそこから城内部へ入ることを提案した。とはいっても、いつまたさっきのような場所に出くわすかわからない。コウガとセシウスが先をいき、ミレイズとツバキはそれに大人しく従っていた。

「なんか聖堂の方がお城より立派に見えるわね」

 脇の城と先にある聖堂を見比べて、ミレイズはなんとなしに感想を述べた。ツバキがそれに返す。

「歴史としては聖堂の方が古いんです。街が造られ始めた当初は近くの山から良質な石材が多く採れたため、街を囲む城壁と同時期に人々の心の拠り所として聖堂が造られました。城が造られたのはそれから何十年も後で、別の採石所で採れた石材が使われました。当時は戦争中で実用性を最優先したため飾り気がないんです。聖堂より見劣りするとはよく言われます」

 それは生まれ育った街だからこそある知識だろう。ミレイズは「へー」と感心したようにうなずきながら、さらに視線を奥へ向けた。

「確かに城壁と聖堂は同じ色をしている………………ん?」

 ミレイズが目を凝らす。

「どうかしましたか?」

「いや、なんか壁が変にはっきり見えると思ったんだけど……ここまで一直線に壊されすぎているというか」

 ミレイズが立ち止まると、ツバキもそれにならう。ミレイズの視線を追えば、確かに南西の城壁に向けて、直線的に建造物の破壊後が見られた。まるで森に作られた獣道のようだ。

「一応言っておこうか」

 二人を待って振り返ったセシウスとコウガの元へ、ミレイズが駆け寄る。ツバキもそれに小走りでついていった。

「どうした?」

「あっち、なんか壁に向けてまっすぐ壊されているみたいなんだよね。ちょっと変じゃない?」

 ミレイズが指さした方を向いて、セシウスもそれを確かめる。

「……あっちだけか?」

「じゃないかしら。反対側はわからないけど」

「変だな。何の意味があるんだ……?」

 いくらブルーオーガが巨体とはいえ、街の通りは彼らが歩けないほど狭くない。城を目指すためにわざわざ建物を壊して進むなど非効率的だ。

「……何か、見逃しているのか?」

 セシウスはぽつりとつぶやいた。しかし、他の三人はあまりそれを深刻には受け止めなかったし、セシウス自身も少し引っかかったという程度だ。もう既に敵の頭を叩いているのだから、未解決の謎があるなら街を解放した後にゆっくり考えればいい。

「ひとまず置いておこう。行きましょう」

 セシウスに促されて、またコウガが先頭で歩き出す。それにセシウスが続いて、その左後ろにぴったりくっつくようにミレイズも歩き出した。ツバキもミレイズのすぐ後ろに続く。

 そして四人は間もなくして、聖堂の入り口にたどり着いた。

 

 聖堂の入り口はブルーオーガ2体が横に並んで通れるほどに大きなものだった。神話の一幕だろうか、鋼鉄の扉の面には複数の天使の姿が象られている。

 門扉は今は全開にされていた。そこから聖堂の中を見て、コウガが訝しんだのがセシウスにはわかった。

「どうかしましたか?」

 尋ねると、コウガは答える代わりに歩みを進めて聖堂の中に入った。他の三人もそれを追う。そこで、コウガが何を不審に思ったのかを全員が理解した。

 荘厳な石造りの聖堂は、高い位置にいくつかステンドグラスが納められた窓があるものの数は少なく薄暗い。幅も奥行きも広く、最奥は暗くなっていてよく確認できない。普段の使用の際は何か明かりが必要だっただろう。

 しかし、今は聖堂の左側の壁が、入り口側の3分の1だけごっそりと打ち抜かれ、そこから外の光が入り込んでいた。

 コウガは、通常よりも聖堂内が明るかったことに違和感があったのだ。

「なにこれ。派手に壊してるわね」

 城に匹敵するほどに巨大な建造物である以上、壁だってそんな薄いものではない。しかし、頑健に作られたはずの石壁はそれこそ見上げるほどの高さまで崩れ落ち、そこから雲の浮かぶ青空と街並みを覗くことが出来た。

 今通ってきた入り口はブルーオーガにとっても十分な大きさだ。これまで見てきた民家とは違い、中を確認するために外壁を壊す必要はない。

「暗いから明かりが欲しかったとか?」

「それか、奴らの儀式か何かに――」

 さらに数歩中へ入って、セシウスは猛烈な寒気に襲われた。いや、違う。それは寒気ではなく、アステアで培った経験がかき鳴らした警報だ。

 朝にしては暗すぎたが、ちょうど雲がかかっていたらしい。太陽を覆っていた雲が徐々に移動すると共に、天井付近にあるステンドグラスの右から順に光が降り注ぎ始めた。それは、これまで暗く何も見えなかった最奥のシルエットを浮かび上がらせる。

 セシウスは体が発した警告に従い反射的に奥の方へ向いた。弾けるような反応に他の三人も追随して身構える。

 

 雲が完全に太陽の前から移動して――とうとう、『彼』の全貌が明らかになった。

 

 『彼』は聖堂の奥で腰を下ろしていた。立てた両膝にそれぞれ腕を載せ、眠っているかのようにうつむいている。燃えるような赤髪(せきはつ)が長いところで肩まであるが、そこから先は引きちぎったかのように乱雑だ。肌の色は人間と変わらないが、その表面は果たしてどうしたらそのようになるのか――大小さまざまな傷が全身に刻み込まれている。筋骨は隆々とし、特に肩、腕、胸の筋肉の分厚さは体のバランスを損なうほど。衣服は腰に巻いた白い毛皮だけで、身体のあちこちに刻まれた異様な深さの傷がはっきりと確認できる。

 そして何より特徴的なのは――彼の高さは優にブルーオーガの倍以上あった。身長ではない、座ってうつむいた状態でだ!

 動かない『彼』はまるで神話から掘り出した巨大な彫刻のようであった。全身の傷と発達した筋肉の鎧に、それらを彩る赤髪。それは美しく、芸術のようですらあった。

 しかし、『彼』は四人の前で動いた。普通の人間と同じように、なめらかな動きでその顔を上げ

 

「ミレイズーーーッ!!!」

 

 セシウスが叫んだ。同時にギフトを使ってその感情を全開で仲間へ向けて発信した。逃げろ、という恐怖心と焦燥感を。

 ミレイズはセシウスの声が聞こえた瞬間に何より先に両目を閉じた。そしてちょうど近くにいたコウガの腕を取ると、来た入り口へと全力で走り出す。セシウスの感情を浴びたコウガも、何かを考える前にそれに従って走っていた。

 『彼』の瞳が小さな人間たちを見た。瞳孔の色は黒。その周囲の虹彩は髪と同じ燃えるような赤――

「ひっ」

 その瞳を真正面から受けたツバキが悲鳴を漏らす。腰が抜けて倒れそうになるが懸命に両足を踏みしめバランスを取った。だが、とてもじゃないがそんな状態では走れない。逃げる機会を失った。

 『彼』が左手を床に、右手を膝について、その異様な巨躯を持ち上げる。ツバキは震えながら『彼』の頭がこの聖堂の天井近くまで上がっていくのを見た。初めてブルーオーガを見た時、奴らは巨人だと思った。しかし、それは完全に甘い認識だった。今、目の前にいる『彼』こそが真に巨人であるのだ。

 『彼』が1歩踏み出す。

 大地が震動した。永きに渡ってこの街の歴史を支えた床の石材にひびが入り――

 

 『彼』は轟音と共に爆炎に包まれた。

 

 白いマントがツバキを爆風から守る。セシウスは一目でツバキが動けないと悟ると、細い少女の腰を抱き寄せるように持ち上げた。

 そして顔だけ振り向くと新たな魔法を詠唱。複数の魔法陣が展開後、さらに巨大な炎が聖堂の一角を埋め尽くした。

 セシウスは、自らの戦果を確かめることもせず少女を抱えたまま駆け出した。

 それは確かめる必要性が皆無だからだ。若き魔導士は、炎が晴れた先に無傷の巨人がいることを既に知っていたのだから。

 

 

 レヴェンドルク城の2階のその一室は、来客用の待合室か何かだったようだ。床にテーブルや骨董品など内装の残骸が多く散らばっているが、二人掛けのベージュのソファが綺麗な状態で残っていた。

 セシウスは片膝をついて、そのソファへ背中と両膝裏を抱えていた黒髪の少女を降ろした。そのまま離れようとしたが、小さな手が首元のマントを掴んだまま震えている。セシウスは左手を伸ばすと、少女の青白くなった頬に触れた。

「大丈夫か?」

 問いかけにツバキはぎこちなくうなずいた。そして鼻から一度深めに空気を吸い込んで、止めて、胸の奥から絞り出すように吐いた。

「あれは」

 マントの布を握る手に力がこもって、小刻みに揺れる。

「なん……なのですか?」

 未知の強大な存在に畏怖し、萎縮しきった少女は、目を離したらその瞬間に消えてしまいそうなほどに弱々しかった。これまでどんな状況でも失なわなかった凛とした力強さがなりを潜めている。

 そんな状況で、ふとセシウスはアルメールの村娘を思い出していた。そういえば、エナという少女は内向的だが依存心が強く、頑張って近づいては来るのだが、服の端を掴んでうつむいたまま何も言えなくなったりしていた。なんとなく、今のツバキの姿がその姿と重なって見えた。

 ここがアルメールで、目の前にいるのがエナであったなら、その頭を撫でて大丈夫だ安心しろなどと慰めてやったかもしれない。しかし、今この状況でそうしてやれるだけの余裕はセシウスにもなかった。彼女の質問に対する答えは、想定しうる事態の中でも最悪の部類だったからだ。

「あれは――」

 セシウスの緊張が伝わったのだろうか。ツバキが唾を飲み込む。

 セシウスの答えはたった一言。簡潔にして、最悪。

「神だ」

 

 

 


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はぐれ賢者と野良女神-神には神を- 22
  

 

 

「小さき人の戦士よ。ここまでだ」

 盲目のオーガがその岩のように閉じられていた口を開く。

 それは、地底から響くような重厚な声だった。

「うそ、しゃべった!?」

 人間と同じ言語を操る。それだけで、他の個体と比べ遥かに高い知能を有していることは明白だ。

「ちょっと、こんな好き勝手やってなに目的!?」

 言葉が通じるとわかれば、ミレイズは遠慮なくコミュニケーションを取ろうと言葉を飛ばす。この街の惨状を目の当たりにしてきたからか、その声には小さくない怒りの感情が含まれていた。

「我らはただ神の御心のままに。お前たちは供物となり、神の一部となる」

 理解の難しい回答に、ミレイズは怪訝そうに眉をひそめた。

「神? なに言ってるの?」

「我らは大いなる使命を得た! 止めるな人よ! その身を捧げよ! 我らと共にあれ!」

 盲目のオーガが右腕を掲げる。そして、その岩のような手を石畳に叩きつけた。

「捧げよ、我らが神に!」

 石畳を割っただけではない。変化は両脇に控える2体のオーガに起こった。それぞれが雄叫びを上げると、その瞳が赤く染まり、全身の筋肉がさらに肥大化する。

「あーもぅっ話聞かないし! それにあいつら、なんかギフトが効きそうな感じじゃなくなったような」

「構うな、来るぞ!」

 太刀のオーガが膝を折る。そして跳躍。それはまるで暴風のようだった。

 その体格からは想像できないほどの俊敏さでセシウスの眼前へ迫り、風を纏った大太刀を叩きつけるように上段から振り下ろす。

 地面を叩き割る音。舞う砂埃。その中から飛び出したのは、セシウスではなくミレイズだった。大太刀をかわしていたセシウスは、相手をミレイズに任せて後ろ跳びに離脱する。

「まず1体!」

 ミレイズのオーガキラーが剥き出しの右肩を斬り裂いた。

「――って!?」

 確かな手応えがあった。が、太刀のオーガは倒れるどころかミレイズを追って振り返ると、飢えた獣のように血走った瞳でその左手を伸ばす。

 ミレイズは掴まれそうになるが、とっさにオーガの人差し指の先を蹴って地面に逃れる。

「あれで浅いの? めんどうねっ」

 ミレイズの全身が魔法陣の光に包まれる。青い軌跡を残して雷(いかずち)のような速度で太刀のオーガの背後に回り込むと、首を狙って横薙ぎにオーガキラーを振るう。

 容赦の無い必殺の一撃だった。しかし、

「おわっ!?」

 オーガキラーは甲高い音を立てて大きく弾かれていた。太刀のオーガは、ミレイズを追ってぐりんと首を回し、大太刀を攻撃線上に滑り込ませていたのだ。

 弾かれて背後に後退したミレイズは足裏で滑るように地面に着地する。ぺろりと舌で唇を湿らせると、恨めしそうに太刀のオーガを見上げた。

「普通にアステアレベルじゃない。めんどうってもんじゃないわ」

 右手を伸ばし、太腿のホルダーに納めたナイフ――聖遺物に手を触れる。

 だがミレイズが行動を起こす前に、その背後に突如フィヨルド・シルバーホーンが現れた。見れば、盲目のオーガが持つ鏡から、次から次へと白狼が走り出てくる。まるで虫の巣穴を掘り返したかのように、際限なく一角の獣が溢れていた。

「あぁもうっ!」

 次の瞬間には、ミレイズはまた加速魔法を使って数体のシルバーホーンを斬り捨てる。まさに目に留まらない速さだが、その彼女を掴み取ろうと、太刀のオーガもまた目が覚めるような瞬発力でもって腕を伸ばしていた。

 ミレイズはそれをバックステップで回避する。さらに、盲目のオーガの口から流れる呪文が耳に届くと、ミレイズはすぐさま空いている左手を突き出して魔法陣を構成した。そして、聞き取れないほどの速さと音量で呪文を唱える。

 ミレイズの周辺を囲うように魔力の檻が出現しかけた。が、その完成前にミレイズの対抗魔法が発動し、具現化しかけた檻を打ち砕く。

「拘束魔法? ギフトが効いていないのに?」

 ミレイズは首を傾げつつも、数を増やしていく白狼を前に手斧の柄を握りなおした。

 

 盾のオーガは一直線に、コウガとツバキへと地鳴りのような足音を鳴らしながら迫っていた。正面に構えているのはその巨体を覆うほどの大盾。その質量と速度をもってすれば、先ほどのように城の壁を粉砕することはたやすいだろう。人ならかすっただけで全身がバラバラになる。

 コウガとツバキは猛然と駆ける盾のオーガの直線上から逃れる。コウガは左へ。ツバキは右へ。すると、盾のオーガは迷う素振りもなくツバキの方へと進路を切った。まるで、最初から彼女しか目に入っていなかったかのように。

 ツバキは周囲を見回す。が、隠れ場所はどこにもなかったし、あったとしてもあの勢いの前には路上の石ころ程度にしかならないだろう。

 ツバキは一旦逃げる素振りを見せたものの、歯を食いしばってその場に留まった。腰を落とし刀の柄に手を添えるが、圧倒的な質量と速度で迫る鉄の塊が相手では明らかに無力だ。

「ツバキっ!」

 気付いたコウガがツバキの元へ引き返そうとし――その真横を熱風と共に紅蓮の炎が横切った。

 直線上に伸びた炎が盾のオーガを直撃する。

 ガアアアアアアアアアアァァァッ!

 盾のオーガは左腕で身体をかばって雄叫びを上げた。その腕が焼けただれるが、致命傷にはほど遠い。

 それを見越して、次の手は打たれていた。

 コウガが振り返る。そこには、巨大な炎の槍を宙に構えたセシウスがいた。先ほどよりも遙かに大きい。

「次だ!」

 炎の槍が矢のように放たれる。盾のオーガはその大盾を炎に向けた。

 盾のオーガは大盾ごと巨大な炎に包まれた。その炎の塊がゆっくりと移動を始めた。盾のオーガは歩き出したのだ。セシウスの方へと!

 セシウスは盾ごと焼き尽くそうと炎の奔流を送るが、その魔法がオーガよりも先に力尽きた。

 炎が途切れ、熱で歪んだ空気の層から盾のオーガが走り出る。そして高温で赤に輝いた鉄盾を片手で軽々と頭上に振りかぶった。

 人では到底持ち上がらない巨大な鉄の塊だ。防具としてだけでなく、武器としても充分すぎるほどに脅威になる。

 それに対しセシウスは短い呪文を唱え正面から迎え打った。

 振り下ろされた鉄塊(てっかい)と即席の物理結界が爆音を鳴らし、衝撃波が空気を振動させる。

「セシウス、マグラム!」

 ミレイズが叫ぶ。見れば、ミレイズはその周囲を20体を越えるフィヨルド・シルバーホーンに囲まれていた。

 セシウスは飛ぶように後方に跳ねて盾のオーガから距離を取ると、マグラムを抜いて横に薙ぐ。それだけでミレイズの周囲の白狼がすべて消え去った。

 それを確認するが早いか、ミレイズは腰のショートソードを引き抜いた。そして、そのまま剣を持った手を離す。

 手を離せば、地面に落ちる。その当たり前の事象は起こらなかった。

 剣の、鍔の両端と柄の3点で魔法陣が展開される。

 矢か大砲か。ショートソードが掻き消えたかと錯覚するような速度でミレイズの手から撃ち出された。地面と水平に飛び、盲目のオーガが持っていた鏡の遺産の中央を貫通して粉々に破壊する。

 ミレイズは満足そうに口元をつり上げた。これで目障りな白狼はもう現れない。

 休まず、ミレイズはオーガキラーを足下に置き、背中の弓を取って矢をつがえた。そしてセシウスに視線を送る。ほんの一瞬だったが、セシウスはそれを正しく受け取った。

 セシウスは呪文の詠唱を始める。

 ミレイズは一呼吸で弓を引き絞り、放った。

 帝国時代の宮廷魔導士が作った遺産、ソレイユの矢。沼で――誤射して――見せたのと同じように、それは放たれると同時に強大な雷(いかずち)と化した。その雷光は太刀のオーガの真横を掠め、盾のオーガへと瞬時に到達する。

 それは完全な奇襲となった。盾のオーガは感電し、その手から大盾がこぼれ落ちる。

 まさに盾が落ちたそのタイミングでセシウスの詠唱が終わった。

 突如地面に無数の影が降り、離れた場所で身の置き所を探っていたツバキは空を見上げる。

 輝く太陽に照らされた10数本の氷塊――2章の水属性魔法、アイシクル・レインだ。

 セシウスが手を振り下ろすと、それらは一斉に盾のオーガへと降り注ぐ。

 アイシクル・レインは長剣ほどの大きさの氷柱(つらら)を相手の頭上に落とす魔法だ。そのはずだった。

 だが、天より飛来するものを見て、ツバキはセシウスの放ったものがそんな生やさしいものではないと気付く。

 セシウスが放った氷塊はその11本が丸太のように太かった。氷柱などではなく、『杭』と表現したほうが適切に思える。それが10数本、あまりにも暴力的に、動きを止めている盾のオーガへと降り注いだ。

 たった一撃でオーガの右腕の肘から先が吹き飛び、さらに後続が肩へ胸へ脚へを突き貫いた。その衝撃の大きさを雄弁に物語る激突音を響かせ、凶悪なまでの威力でオーガの巨体を完全に破壊していた。

 

 ミレイズは矢を射ってから一息も間を挟まず、弓の持ち手を矢筒と背中の間に挟んで速やかに弓を背中に戻した。

 そして右足で先ほど地面に置いたオーガキラーを蹴り上げると、左足を軸足にくるりと一回転して、腰の高さまで上がったオーガキラーの柄頭をそのつま先で蹴り飛ばした。黒死旅団相手にナイフを蹴ったのと同じ要領だ。

 ここまでで、セシウスの魔法が空高く具現化したのと同じタイミング。

 オーガキラーは下段から撃ち抜く勢いで太刀のオーガの顔面へと飛んだが、太刀のオーガは首を傾けるだけでそれを避けてしまう。

 これで終わりなら、ミレイズはただ武器を無駄に失っただけになる。無論、これで終わるはずがない。

 ミレイズがオーガキラーへ指先を向けた。オーガキラーの先端に魔法陣が展開される。

 次の瞬間、透明な壁にでも弾かれたかのように手斧は軌道を変え、太刀のオーガの広い背中へと振り下ろされた。鏡を割るためショートソードを撃ち出したのと同じ方法で投擲の軌道を変えたのだ。

 恐ろしいことに、太刀のオーガはそれさえも反応した。身体を捻ってかわし――しかしそこまでだった。

 オーガキラーは地面へと撃ち下ろされたが、またすぐに太刀のオーガ目掛けて跳ね上がった。さらに何度も何度も軌道を変え、目にも留まらぬ速さで太刀のオーガの周囲を風斬り音を立てながら飛び回った。魔法の発動に伴う青い光に包囲され、太刀のオーガは1歩も動けなかった。

 セシウスの魔法が盾のオーガを粉砕する。

 それと時を同じくして、全身の至るところを斬りつけられた太刀のオーガもまた、うつぶせに倒れて動かなくなった。

 

 

 セシウスとミレイズは残った盲目のオーガへと顔を向けた。

 身を守る精鋭も白狼を造り出す鏡の遺産も無くし、一つの都市を絶望の淵へ陥れた種族の長はあっけなく無防備となっていた。

「おぉ、人よ……愚かな人よ!」

 追い詰められて発した声は、絶望も諦念もない『嘆き』そのものだった。両手を大きく開き、地鳴りのような声を張り上げる。

「世界に滅びがやってくる! 神の怒りがお前たちを、この世界を滅ぼすだろう! この世界が――ッ」

 地の彼方まで届くかという大演説だったが、それはふいに終わりを告げた。

 盲目のオーガは左足から崩れ落ちるように体勢を崩し、地面に両手をついて体を支えた。その直後、オーガの頭は血しぶきと共に斬り離された。

 首の切断面からも血を吐きながら、追いかけるように巨体が沈む。

 落ちた頭は一転、二転と転がり、そして止まる。首から溢れた血がそこに到達し、オーガの目を覆っていた薄黄色の布を赤く染め上げていった。

 その血だまりを凍ったような瞳で見下ろしていたのはコウガだった。腰を落とした姿勢からゆっくりと通常の立ち姿に戻り、刀を鞘に納める。気配を殺して背後から接近していたコウガのその刀が、膝を斬り、首を斬り放し、永遠にブルーオーガの弁舌を封じたのだ。

「終わり、かな」

「……そうだな」

 まだ街にも城内にもブルーオーガが残っているはずだ。しかし、族長を倒した以上あとは単なる掃討戦でしかない。セシウスとミレイズにかかればそう時間はかからないだろう。

 セシウスは離れたところで立ち尽くすツバキを振り返った。彼女もまた父と同じようにオーガの死体を見つめていた。そこには喜びも怒りも、悲しみもない。

 故郷を襲った災厄そのもののあまりにあっけない最後に、少女の未熟な感情は行き場をなくしているようだった。

 それを見て。

 突然大草原の中心に放り出されたような少女の姿に、セシウスは引っかかるものを覚える。

 ――この結末は本当に正しいのだろうか?

(……現実はそこまで理想的なものじゃない、か)

 胸に湧いた釈然としない想いの責任を『現実』に預け、セシウスは静かに黒の長剣を鞘に納めた。

 


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更新再開しました

 とにかく忙しくて執筆時間が取れなかったためしばらく更新を止めていましたが、最近やっと時間が取れるようになったので再開します。

 「はぐれ賢者と野良女神-神には神を-」はあと十数話で終わる予定です。よければお付き合いください。

| 21:06 | comments(0) | trackbacks(0) |
はぐれ賢者と野良女神-神には神を- 21
  

 

 馬よりも大きな一角の狼が、牙を剥いて駆けてくる。

 ガアアアァァッ!

 四人に迫った狼が吠えた。瞬間、その姿が霞んだかと思えば、すぐさま二つに分かれて同じ姿が現れる。

「わっ、増えた」

「鏡と同じような原理で見かけだけだ。本体はちょうど中間にいる、はず」

「はずってもう、またいい加減なのだったら怒るからね!」

 ミレイズがオーガキラーを構える。

 四人の中で突出した彼女へ向かってシルバーホーンが飛びかかった。

「合っています、本体は中央です!」

 セシウスの推測を裏付けたのはツバキだ。どうやら幻惑の効果は正面からしかないらしい。ツバキの斜め横の位置からは変わらず1体の姿が確認出来ていたのだ。

 ミレイズがシルバーホーンと交差する。白狼は喉笛を深く斬られ、胴体で地面に着地する。

 しかし、そこに大きな違和感があった。石畳を濡らすはずの大量の血が流れない。それから訪れた現象は常識からかけ離れていた。その巨体は血を流すことなく、青い粒子となって霧散したのだ。

「嘘、これって再現召喚(リサモン)!?」

 ミレイズがぎょっと声を上げるが、一息付く暇はない。

「まだ来るぞ!」

 街の中央から次から次へと白銀の一角獣が走り出る。さらに2体が飛びかかってきた。コウガとツバキがとっさに反応しようとするが、若干反応が遅い。

「だったら――」

 セシウスは腰の長剣を抜く。直後、まさにその鋭い一角を付き出した2体のフィヨルド・シルバーホーンが音もなく、頭の方から吹き消されるようにして『消滅』した。

「これ、は……?」

 ギリギリで迎え撃とうとしていたコウガとツバキは呆気に取られる。

 セシウスはその横を走り出てさらにその漆黒の長剣を振るった。すると、向かって来ていた新手の1体も同じように消滅する。

 その奥からも際限なく白狼(はくろう)は湧いて出てきた。さらに、ちらほらとブルーオーガも集まり出す。

「ミレイズ、オーガは頼む。発生源に向かうぞ」

「おっけー」

 セシウスとミレイズが先頭を走り、コウガとツバキがそれを追う。

 ミレイズは走りながらも、そのギフトでブルーオーガを惹き寄せて倒していく。それは相変わらず人間離れした戦闘技術ではあるが、さらに圧倒的なのはセシウスだった。セシウスが剣を振るうと、一角の白狼は息を吹きかけられた湯気のように消え失せてしまう。

「マグラムは大活躍ね」

「倒した数勝負は俺が圧勝だな」

「それずるい! それは無効でしょ!」

「オーガキラーと似たようなものだろ」

 軽口を叩き合いながらも、二人は次々と襲い来る魔物を倒していく。

 四人はやがて居住区を抜けて商店が並ぶエリアに入った。変わらず城の方向からフィヨルド・シルバーホーンが次々と姿を現す。

「ひどいな……」

 しかし、セシウスが感想を口にしたのは街の惨状についてだった。

 小さな商店も含め、無事な建物は一つとて見つからない。コウガとツバキは変わり果てた街を前に険しい表情を崩さなかった。その心境はギフトを通じ、痛いほどセシウスにも伝わってくる。

 多くの市民が集まっただろう、酒場や共同浴場といった比較的大きな建物も例外なく外壁を破壊されていた。複数階ある建物も、壁や下層の天井を壊して上の階まで調べた形跡があった。

(なぜここまで執拗に……?)

 ブルーオーガは人も喰う。だから、獲物として人を狩るというのは生物として自然な行動ではある。だが、ここまでするほどに飢えていたのだろうか。そもそも人間が主食というわけではないし、単純に肉と考えればその辺の魔物から充分に手に入れられるのだから、となるとやはり不自然だ。

(この先に答えがあるか)

 セシウスは頭を振って切り換える。普通のブルーオーガが再現召喚を使うとは考えにくい。間違いなく、白狼の現れる先に何かがあるはずだ。

「セシウス、これ倒したほうがいいんじゃない?」

 ブルーオーガの出現数が減り、やることがなくなってきたということもある。あまりにも続く白狼の襲撃にミレイズが痺れを切らした。

 再現召喚された魔物を倒せばその召喚結晶(デュミナス)が砕け散る。そうすればそのデュミナスはもう使えない。だが今セシウスがやっているのは倒すのではなく、その存在をまさに消しているだけなのだ。デュミナスは残るから、魔力が続く限りそこから新たに魔物を召喚出来る。だから、倒せるのであれば倒してしまった方が良いのは確かだ。

 ミレイズはセシウスより先行すると、1体、2体とフィヨルド・シルバーホーンを斬り捨てた。しかしもう1体、もう1体、もう1体と繰り返して、さらに遠くに向かってくる5体の姿が見えたところでミレイズは足を止めた。うんざりした顔で振り返る。

「っていうかコレ、ほんとに再現召喚(リサモン)?」

 ミレイズの後ろから状況を眺めながら、セシウスも同じ疑問を持ち始めていた。同時にいくらでも湧き出てくるということは、それだけ多くのデュミナスが存在し、さらにそれを扱える魔導士が何人もいるということになる。それもまた不自然だ。

「変な遺産があるのかもしれないな」

「だよね。もーパスパス。やっぱりマグラムでいこう」

 心底面倒くさそうな顔をして、ミレイズはセシウスの後ろ――コウガとツバキの元へと引っ込む。

 すぐにやってきたフィヨルド・シルバーホーンを、セシウスが一閃して消滅させる。また四人で走り出した。

「ミレイズさん。あの剣は一体?」

 走りながらもそう尋ねたのはコウガだ。

「あぁ、そっか」

 そういえば説明してなかったな、とミレイズは二人へ視線をくべた。

「あれは『悪魔の壷』で出てくる魔女殺しの左腕、『マギ・ランベラー』の聖遺物よ」

 

 * * *

 

 小さな村に一人の木こりが住んでいた。

 妻と小さい娘が二人。戦火は決して遠いものではなかったが、幸運にも村が巻き込まれたことは一度もなく、慎ましいながらも平和な暮らしを送っていた。

 そんな村にある日、二つの変化が訪れる。

 一つは新たな村人。ミリエイラという妙齢の美しい女性だった。彼女は仕立ての良い服を身に纏い、膝まである黒髪は上等な絹糸のように艶やかできめ細かく、一目で上流階級の人間だとわかる出で立ちだった。

 ミリエイラの村に住まわせて欲しいとの申し出に、村人たちは困惑し、厄介ごとを連れてくるのではと反対意見も多く出た。しかし彼女の謙虚な佇まいもあり、まもなく仲間として受け入れられた。

 もう一つの変化は、ミリエイラの来訪とほぼ同時に村の外れの洞窟で発見された漆黒の怪しげな壷だ。壷は大人の腰ほどの高さがあり、直径は両手を伸ばしても届かないほど大きく、中は薄紫の光を放つ闇色の液体で満たされていた。その禍々しさから、村人たちはそれを『悪魔の壷』と呼んだ。

 悪魔の壷には不思議な力があった。壷の中に沈めたものが、何でも刃物となって浮かび上がってくるのである。拳大の石を沈めれば、数秒の後に丹念に研ぎ済ましたかのような石のナイフが浮かんできた。大振りな枝を沈めれば、木とは思えないほど鋭い刃を持った木剣(ぼっけん)が浮かび上がった。鉄の塊を放り込めば、粗悪な鉄であっても、その時代の鍛冶士では到底作れない素晴らしい切れ味の剣が出来上がった。

 最初は気味が悪いと敬遠した村人たちだが、すぐにその力の便利さに気が付いた。世界の至る所で聖魔の戦乱が巻き起こっているこの時代において、武器はどこでだって重宝される。村は一気に活気づいた。この壷を使えば、これまでとは比べものにならないほど裕福な暮らしが出来る――

 しかし、村人たちが描いた未来は、まさしく夢となって終わる。それは、ミリエイラがやって来て二度目の満月の夜だった。

 村人たちは月明かりを照明に、武器を売った金で得た食料と酒で盛大に宴会を開いていた。

 そこに、ふらりとミリエイラが現れる。

 彼女に普段の穏和な笑みはなく、冷たいほどに無表情。ミリエイラはそのまま無言で宴の中心まで歩いた。村人たちが談笑をやめ彼女に目を向ける。その眼前で、著しい変化が起こった。

 ミリエイラの黒髪がみるみる銀色に変わり、青かった瞳が赤い輝きを放ったのだ。

 言葉をなくした村人たちの前でミリエイラは薄く笑った。見る者の背筋を凍らせる酷薄な笑みであった。

 ミリエイラは人差し指を一人の男へ向けて、くいと上に持ち上げた。

 そして、骨の軋む音と共に、男の心臓が胸から飛び出して空中に浮かび上がった。心臓を抜かれた男は小さな呻きを断末魔に息絶えていた。ミリエイラがさらに指を向けると、同じようにもう一人が絶命し、宙に血をまき散らす心臓が残った。

 ――魔女だ!

 誰かが叫ぶと同時に、村人たちは狂乱の声を上げて逃げ始めた。それが多くの村人の断末魔となった。

 逃げ延びたのはほんの数名の男のみ。

 その中に木こりもいた。

 彼らが見たのは異様な光景だった。無数の心臓が闇に浮かび、辺りは大量の血で赤く染まっている。

 その中心にいるミリエイラの影が動いた。

 影は跳ね回るように膨張と縮小を繰り返した後、そこからにじみ出るように怪物が現れる。

 異様に大きな毛むくじゃらの頭だ。頭だけの怪物だった。2本の赤い角と三つの金色の瞳。その頭を上下で二つに分けるように開いた巨大な口から、ダラダラと大量のよだれを垂れ流している。

 現れたソレは限界まで大口を開くと、浮かぶ心臓に一気に食らいついた。その口で一度に10近くの心臓を飲み込み、あっという間に全てを平らげていく。

 その中には、木こりの妻の心臓があった。娘たちの心臓もあった。

 生き残った男の中には、叫び声を上げながら突っ込む者も、武器を持ち出し挑む者もいた。しかし、誰もが同じように心臓を抜き取られて死んだ。

 木こりは絶望した。とっさに斧を持ち出してはいたが、その斧が何の足しにもならないことは明らかだった。そんな中、生き残りたちは次々と死に、ついには木こり一人になって、魔女の瞳が木こりに向いた。

 木こりは逃げ出した。がむしゃらに走った彼がたどり着いたのは洞窟の奥――悪魔の壷の前だった。

 ――殺される!

 ――殺してやる!

 パニックに陥った木こりは壷の力に頼ろうとした。鉄くず一つあれば今持っている斧よりも遥かに強力な剣が手に入る。だが、一通り武器を売り払った後だ。近くにそんな材料は見当たらない。

 木こりは焦った。その手の斧を材料とすることにも思い当たらず、近づいてくる魔女の気配に我を失った。

 そして、とうとう彼は己の左腕の肘から先を自ら切り落とし、ありったけの呪詛を込めて壷に沈めた。

 背後に銀髪のミリエイラが現れた。木こりは壷の中心に黒い柄が浮かび上がると同時にその剣を引き抜いた。

 これまで壷に入れた素材は、その素材のまま剣となって現れた。枝なら木剣に。鉄なら鉄剣に。しかし、木こりが引き抜いた剣は、それが人の腕から作られたとは想像も付かない意匠だった。柄も黒。鍔も黒。そのすらりと伸びた刃さえも漆黒。まるで、腕ではなく木こりが掛けた『呪い』を材料としたかのように。

 木こりはその剣でミリエイラに斬り掛かった。

 ミリエイラは、他の男たちにしたように木こりに指先を向けた。それと同時に、ミリエイラの瞳が驚愕に見開かれる。彼女の魔力が効果を発せずに霧散したのだ。

 木こりの剣はミリエイラの左肩から右腰までを彼女の心臓ごと両断した。

 一夜にして村を壊滅させた魔女は断末魔を上げる間もなく絶命した。彼女の斬られた上半身が地面に落ちる――その寸前、影から再びあの魔物が現れ彼女の全身を一飲みにすると、出てきた時と同じように闇に溶けて消えてしまった。

 魔女のいた痕跡は、木こりを除く全村人の骸(むくろ)と、彼が握る漆黒の長剣のみとなった。

 

 漆黒の剣は鉄さえも斬り裂き、そしてあらゆる魔法を打ち消したという。生き残った木こりの男はその剣を手に魔女を狩る者となり、数多の魔女と悪魔を斬った。

 隻腕の魔女狩りはやがて『魔女を切り倒す者(マギ・ランベラー)』と呼ばれる。そして男が逝った後、剣がその名を受け継いだ。

 

 

 * * *

 

 

「私たちは何となくマグラムって呼んでいるけどね。神性でなければどんな魔力でも打ち消せるの」

「あの黒死旅団の聖遺物も、魔力を打ち消すことで無力化していたのですね」

「そういうこと。同じで、再現召喚された魔物も魔力の塊だから打ち消せるってわけ」

 理屈を聞いて疑問は解消した。しかし、その意味を正確に理解して、ツバキは軽く身震いした。

「魔力を消す――ということは、すべての魔法や遺産を無力化できるということですか?」

 魔法、遺産。それらはこの世界で人間が手にした力のほぼ全てを占め、特に魔法の発達度合いがその時代の文明を象徴するといっても過言ではない。だからこそ、人類最高の文明は魔法帝国時代だったのだ。その力の源である魔力を奪われるということは、神話時代の初期、人間がもっとも弱かった時代まで退行させられるようなものだ。

「ひどいでしょ。あれだけ大きな魔法使うくせに、相手には生身で戦うことを強制するんだから。まぁちょっと強すぎるけど、魔力組成(ケトロン)を消せないだけ良かったというか」

 そして、ミレイズの付け足した『もしも』に、コウガもツバキも背筋が寒くなる。

 魔力組成(ケトロン)は生物の身体の設計図であり土台でもある。また、生命力の循環を司っているとも言われる。つい昨日、魔力組成の破壊がキラー系武器であり、修復が治癒魔法であるとレクチャーがあったばかりだ。つまり、もし魔力組成の消去なんてことが出来たら、全ての生物に対するキラー武器になってしまう。

「聖遺物ってあくまで伝説の武器のレプリカでしょ? 神話に書かれていることには一応忠実なんだけど、書かれていないことには何も制限ないのよね。だから使ってみるまではそういう馬鹿みたいな力がないって言い切れなくて。変に使うと使い手が殺されちゃうのもあるから、見つけた時はちゃんと調べてから使ったほうがいいわよ」

 聖遺物を見つける機会などそうそうないはずだが、コウガとツバキは神妙にうなずいた。

 それから四人は向かい来る魔物たちを退けながら大通りを駆け抜けた。

 瓦礫を乗り越え、時には迂回し、白狼の現れる方角――城へと一直線に進む。

「見えた!」

 そして、とうとう白狼の発生源が視界に現れる。

 四人が通りを抜けて走り出たのは、城とは目と鼻の先の広場だった。

 そこにいたのは1体のブルーオーガ。しかし、その装いは他の個体とは明らかに違った。身体のサイズは変わらないが、ダークブラウンのローブで身を包み、頭の後ろから薄汚れた黄色い布を巻いて両目を覆っている。地面に胡座をかき、真鍮の縁を持つ真円の鏡をその両足の上に載せていた。その鏡こそが、おびただしい数のフィヨルド・シルバーホーンの発生源だった。

「なにこいつ、盲目?」

「引き替えに高い知能を得た突然変異種か」

「あれがブルーオーガの族長――今回の黒幕!」

 躊躇なくコウガが飛び出そうとする。相手は盲目でまともに接近戦が出来るとは思えない。コウガの刀であれば、数秒のうちにその首をはねることも可能だったかもしれない。しかし、

 

 ブグアアアアアアアアアアアアアアアアアアアァァァァァァァっ!

 

 それを制するかのように盲目のオーガは都市全体に轟くかという咆哮を上げた。

 慌てて抑えた耳をゆっくりと離してから、セシウスとミレイズは顔を見合わせた。

「……私、似た展開を知っているわ」

「奇遇だな。俺もだ」

 直後、城の門から左に10歩ほどの石壁が吹き飛んだ。そこから現れたのは、通常のブルーオーガよりさらに一回り大きな個体。しかも、その巨体を覆い隠せるほどの分厚い巨大な鉄の盾を構えている。

 さらに、城門の奥から走り出てくる影があった。軽やかな動きで跳躍した影が盲目のオーガの前に着地する。それは確かにブルーオーガだったが、他の個体よりも全身の筋肉が細く、引き締まっている。反り返った大太刀を構えており、そのシルエットは歴戦の勇士のようだ。巨体を持て余した感のある他のブルーオーガと比べ、より戦闘に特化した個体であることが見て取れる。

「やっぱ変なの出てきた……」

「族長を守る精鋭ってところか」

 構える四人の前で、ゆっくりと盲目のオーガが立ち上がった。

 強烈な威圧感を放つ3体のブルーオーガ。それを前にして、セシウスとミレイズはこれまでにないほどの戦意を発した。

「終わらせるぞ」

「うん」


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はぐれ賢者と野良女神-神には神を- 20
 

 

 

 

 ミレイズがどこを歩いたか。それは一目で判別がついた。足跡よりもはっきりとした痕跡が転々と、時には折り重なって残っていたからだ。

 ミレイズが街の城壁の正面門に到達した時、その背後には4体のブルーオーガの死体がほぼ等間隔にあった。

 ミレイズはそのまま門をくぐる。するとそこでは、仲間の雄叫びで異常を察知した多くのブルーオーガが集結しつつあった。

 1体、時には2体が、ミレイズが視線を向けただけで狂い、殺到し、ミレイズと交差すると同時に絶命する。ミレイズを待ち構えていたブルーオーガたちも最初は現れた敵に興奮していたが、豹変する仲間を見て次第に困惑し、一方的な戦いを繰り返し目にする内に後ずさる個体も現れた。しかし、そのような弱気を見せた個体は『優先的に処理』されていく。

 ツバキは夢でも見ているような気分だった。巨人が少女に吸い寄せられ絶命する。あまりに現実感が乏しい光景だ。ミレイズは本当に軽快で、最小限の動きしかしていない。ブルーオーガの攻撃線上から離れ、そこにオーガキラーの刃を置いておく。相手の力を利用し、その斧を振るうことすらしていない。

 もし自分がオーガキラーを持っていたら同じように戦えただろうか? 想像してみると、意外と出来るかもしれないと思った。しかしそれは、ブルーオーガがことごとく冷静さを失い、単調な動きしかしていないからだ。彼らが本来の戦闘技能を発揮すれば、とてもじゃないがこの数を相手にすることは不可能だろう。

「これがミレイズさんのギフト」

 魔物の理性を奪う魔性のギフト。グデラ相手に使ったのは見ていたが、受けた相手の反応はまるで違った。

「触れるだけで命を奪う遺産があった場合、お二人ならどうしますか?」

 ふとセシウスが語りかけた。

 ツバキはすぐ答えられず、半ば反射的にその視線はコウガへと移った。コウガは数秒考えてから、口を開く。

「なるべく隔離し、人が近寄れないようにするでしょう」

「はい。そんな遺産があったとすれば、当然その遺産との距離が近いほど危険です。ましてそんなものが自ら近寄ってきたら、何より逃げることを優先すべきでしょう。ブルーオーガにだってそれくらいの知恵はあります。でも、ミレイズはそれを許さない」

 視線の先で、ミレイズはオーガキラーを左手に持ち替えて右肩をぐるりと回した。そして顔を周囲に巡らせる。

 残っていた12体のブルーオーガ全てが理性を失った。

「ミレイズのギフトを受けた魔物の反応は2種類です。一つは『恋に落ちた』状態。ミレイズに強く愛されたいと願い、どこまでも尽くします。そしてもう一つは強い『独占欲』に支配された状態。ミレイズが自分にとって極上のものに見えて、何を犠牲にしてでも手に入れようとします」

 ブルーオーガがミレイズへ殺到する。ブルーオーガの体格は成人男性の約3倍。そんな巨体で一人の少女に一斉に飛びかかれば、互いに激しく接触するのは目に見えている。しかし、ブルーオーガたちはそんな判断さえも出来ない。

「きっと『独占欲』も、動物的な恋と言って良いのでしょうね。人間性と動物性を天秤に掛けたとき、勝ったほうに感情が振れる――経験上、その差は言語を扱えるかどうかでしょうか。若干の例外はありますが」

 ブルーオーガ同士がぶつかり合い、他の仲間を押し退けてでもミレイズへと手を伸ばそうとする。それはまさに、『独占欲』が具現化した動物の姿だった。

 ミレイズは、まるで隣を通り過ぎる嵐を横目で流すように――冷たいほど冷静にその手斧を振るった。多くの巨人に囲まれてなおわずかに隙間に身体を滑り込ませ、相手の腕に掠りすらしない。

「純粋に『技』だけで評価するならミレイズはアスティの中でも最強です。ギフトが有効な相手で、扱いやすい武器がある。これだけの条件が揃っていれば、まずやられることはありません」

 ぶつかり合っていたブルーオーガが折り重なるように倒れる。外側にいた残りはその場に崩れ落ちた。その死体の山の隙間から、ミレイズは平然と歩み出てくる。

「ひとまず片付きましたね。進みましょう」

 少女一人がもたらした常軌を逸した戦果でさえ、セシウスにとっては当然の結果なのだ。

(私とそんなに変わらないのに……)

 ツバキは自分とミレイズを比べてそんなことを思うが、もはや悔しいとか、すごいとか、そういう次元ではなかった。印象ではミレイズとは三つくらいしか歳が離れていないはずだが、あと3年であの域に達するのは不可能だろう。

 セシウスの魔法は明らかに特異なものだ。その身に宿した魔力からして別物だというのだから、そもそも人としての造りが違う。

 対してミレイズは、ギフトこそ使うが基本的にその身一つで戦う。その身体だって充分に女性らしさを保っていて、超人的な膂力(りょりょく)をもっているわけでもない。

 そんな少女が黒死旅団を、ブルーオーガを圧倒するのだ。一見しただけでは自分と何が違うのかわからない。それは、自分もアステアに生まれれば同じようになれたのだろうか――そんな幻想を抱かせる。

 ツバキは胸がざわついた。

 その不快感を追ってきたのかのように、ここ数日の出来事が脳裏にフラッシュバックする。『現実』が振り上げられた凶器のように襲いかかってくる。

(私は――私にしかなれないんだ)

 精一杯生きてきた。隊のみんなと過ごした日々は掛け替えのない大切な思い出だ。

 皆は死んでしまった。それも、覆しようのない現実だ。

 ツバキは首を振って雑念を払う。

 今は自分に出来る全力を尽くして街を守る。そう約束したのだから。

 

 

 レヴェンドルクの街は石で作られている。住宅は主に灰色の石を積んで作られていて、冬の寒さに耐えるために壁はそこそこ分厚い。窓は木製で、内側に両開きするものが主流だ。

 住民の数は約2000。街自体かなりの広さで、中心に領主の城と聖堂が並んで立つ。それらを境にして正門側が居住区、奥側は畑や鍛冶場など仕事で使われる施設が集中している。特に聖堂と城が突出して大きな建物で、街の外から見える2本の尖塔もそれぞれから伸びているものだ。

 色の乏しい建物を彩るため、街のそこかしこに植物が植えられ、家々の扉の横には色とりどりのタペストリーが掛けられている。

 このタペストリーは表札代わりでもあり、このタペストリーを織るのは嫁いだ女性の重要な仕事である。その出来で器量の良さが判断されたりするのだ。

 だから、この街の色というのは、一つ一つが住民たちが心を込めたもので、街そのものといってもいい。

 そんな街も、今は見るも無惨な状況だった。

 ブルーオーガは徹底的に家を捜索したのだろう。扉周辺の壁がことごとくぶち抜かれ、タペストリーの多くは瓦礫の下敷きになっていた。家の中も散々な有様で、住居としての機能を保っている方が珍しい。道ばたのベンチや植物は踏み潰され、所々に残っている血痕が生々しく『あの夜』の惨劇を物語っていた。

 ツバキは忘れていた呼吸を思い出して、大きく鼻で息を吸った。生まれ育った街――見慣れた景色は変わりすぎていた。今でも、すぐに以前の街並みを思い浮かべることが出来る。しかし、現実にあるのは瓦礫の山だ。理解したくないという気持ちが、一時的に思考を奪っていた。

「ツバキ、気を引き締めろ。ここからだ」

「……はい」

 コウガの声は、いつもツバキを現実に引き戻し、ふらついた足下を支える。ツバキは刀の柄頭に手を置いて気を落ち着ける。

「まだちらほらいるみたいだけど、街に出ているのは少ないわね。どこかに集まっているのかしら」

 ミレイズが周囲を見回す。ブルーオーガの方が大抵の住居より背が高い。離れた街の奥でその青い肌を散見出来るが、近くのはあらかた片づけてしまったと考えて良さそうだ。

「さっきのが防衛部隊のような役割だったのかもしれないな。街自体は荒らし尽くしたってことだろう」

「これからどうするの? 11体探して倒してく?」

 ブルーオーガの巨体だから探すのは難しくない。充分実行可能だが、セシウスは首を横に振った。

「族長に当たるアークブルーという上位個体がいるはずだ。途中にいたあの大群の統率具合からみて、そこそこ知恵のある奴だろう。そいつを優先する」

「統率が取れているうちにやっちゃった方がいいんじゃない?」

「無秩序に暴れられるよりはやりやすいかもしれないが、不確定要素を先に潰した方がいいだろう」

「でもどっちにしろ全部追い払うわけだし」

「頭を潰せば逃げ出すかもしれないだろ」

「逃げ出してまたアルメールに来たら嫌じゃない」

 ツバキとコウガは顔を見合わせた。

「えっと……お二人でも意見がぶつかることがあるんですね」

 ツバキが遠慮がちにそう言うと、ミレイズは「ちょっと聞いてくれる?」とでも言いたげに両手の拳を腰に当てた。

「だって、セシウスってこう見えてけっこう無茶するんだから。本で読んだ戦術をよく考えないで現実に持ち込むし」

 セシウスがむっとしたのが伝わったのは、彼のギフトが原因なのか、それとも単にわかりやすい反応をしたからか。

「お前だって目に見える範囲でしかものを考えないだろ。好奇心に任せて突っ走るし」

「ちゃんと考えてます! だいたいのことって、目の前のものを順番に片づけたほうが早く終わるんだからっ」

「いーや、ちゃんと物事の構造を考えれば、圧倒的に早く終わる方法があるんだよ」

「セシウスはそうやって考えてるうちにチャンス台無しにするし、こうに違いないって決めつけて作戦立てるから外れた時ひどい目に遭うじゃない。深淵(アビス)の頭が弱点って言ったの誰よ」

「あんなレアなケースを持ち出すなよ。手かがりがないなら確率の高い中で当たりをつけるしかないだろ」

「それでボッキボキにされたのは私なんだけど」

「そーいうお前はどれだけピンチを呼び込んだんだよ。だいたいドラゴンの大群が来てるっていうのに空を見上げる馬鹿がいるかっ」

「あんな砂粒みたいな状態で効くなんて思わないもの! 私だって好きでこんなギフトじゃないんだからっ、この足フェチ!」

「ああ足フェチじゃない! それに今関係ないだろ明らかに!」

「私知っているんだからね! アクアの胸が膨らんできてから抱きつかれたときやらしい気持ちになっているでしょ!」

「なってないそれは違う! ただ照れるというか、反応に困るというか」

「私わかるもん! 小さい子にも欲情しちゃうなんてセシウスの変態っ」

「それ言ったらお前だって指フェチで匂いフェチじゃないか!」

「そそそそれは忘れてくれるって言ったじゃない!? だってそれに、私本当にそんなんじゃないし」

「あんなことしておいて違うなんて今更だろ」

「違うもん! わたしっ……私はセシウスフェチなの! セシウスの指で、セシウスの匂いだからいいのっ! セシウスなんてアクアでもエッチになるくせに!」

「ばっ、だから違うって! 確かに少しドキッとはしたけど、やっぱり違うっていうか、お前相手に俺がどれだけ……ってぐあー! 俺何言おうとしているんだ!? て、てかお前いま相当恥ずかしいこと言ったからな!」

「それはっ! ……ぃ、言った…………けど」

 真っ赤な顔でうつむくミレイズ。挙動不審に明後日の方向を見るセシウス。

 こんなやり取りを見せられてなぜだろうか、ツバキはここ数日で一番家に帰りたくなった。「いちゃつくのは終わってからにしてください」なんてブルーオーガの一撃よりよほど強烈な言葉を言いたくなったが、立場をわきまえて飲み込み、隣で同じように立ち尽くしていたコウガに視線で事態の収拾を求める。

 厳格な父親はたまにしか見せない困ったような表情を一瞬見せてから、もじもじを続ける二人へ1歩を踏み出した。その足音ではっと二人は振り返ると、ずっと見られていたことにようやく思い至ったのかさらに顔を赤くする。

「……地下シェルターの入り口が城にあるので、そちらを優先していただけると助かります」

「あ、あぁ、それがいいと思います。はい」

「そうね、それがいいわね」

 散々人間離れした戦闘力を発揮した二人もやはり同じ人間なんだなと、ツバキは妙に納得してしまった。

 そのタイミングだ。

 ツバキは視線の端に動くものに気がついた。中央通り――街の中心の方角だ。

「あれは……」

 他の三人が視線を追う。破壊された灰色の街。その中を猛烈に走ってくる生き物がいる。

 躍動するその影はすぐにその姿が視認出来るまで迫ってきた。白い毛皮に黄金の瞳。一見ヴァーミリオンウルフを白くしたような風貌だが、その額からはねじれた一本の角が槍のように伸びている。

「フィヨルド・シルバーホーン! あれも氷河の魔物だ!」

 セシウスがその名を告げる。四人は一斉に戦闘態勢に移った。




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はぐれ賢者と野良女神-神には神を- 19
 

 * * *


 肌寒さを感じてツバキは目を覚ました。

 毛布にくるまっているのは自分一人。寝返りを打った際に毛布が少しはだけて、そこから外気が入ったらしい。

 夜明けが近いのだろう。空は暗いが、端に太陽の気配がにじんでいる。空の半分ほどは雲に覆われ、月は見えなかった。

 冷えた空気から緊張感のようなものを感じ取って、ツバキは毛布を払った。すぐ傍に畳んであった服を着て、軽鎧を身につける。刀を留めた剣帯を腰に巻いて、額当ては左手に持って岩の合間から離れる。

 嫌な夢を見たが、頭はクリアだった。ミレイズに抱きしめられながら話を聞いている内に、自然と眠りにつけたらしい。一人だったら、ひたすら皆のことを考えて眠れなかったかもしれない。

(もしかしてあの人はそこまで考えて……)

 真相は直接聞かなければわからないし、もしそうだったとしても服を脱がされたことに必要性は感じなかったが。

 ツバキが少し歩くと、すぐに高い岩の上で並んで立つセシウスとミレイズの姿を見つけることが出来た。ツバキでは登ることも出来ない程に高い、見上げるような大岩の上だ。二人とも北――レヴェンドルクの方角を向いている。

 二人が纏う雰囲気は昨日までとは明らかに違っていた。一言で言えば『臨戦態勢』。離れていても、二人の存在感に気圧されそうになる。

 ツバキは身震いした。寒さが原因ではない。二人に、言い様の知れぬ畏れを感じたのだ。

 それでも状況を確認するため、ツバキは二人の立つ岩へと近付いていく。すると、ミレイズがセシウスと少し話してから岩を飛び降りた。

「おはよう、ツバキちゃん」

「おはようございます。何かあったんですか?」

「うん、ちょっと敵が近いみたい」

「敵……ブルーオーガ」

 その姿を想像しただけで、自然とツバキは拳を握りしめる。

「まだはっきりしないけど、たぶんね」

 だが、ミレイズの返答が少しばかり想定外で、拳はすぐに緩められた。

「はっきりしない、のですか?」

「見えたわけじゃなくて、私たちってなんていうか『戦いの気配』みたいのを感じるのよ。うまく説明出来ないんだけど」

 以前にも誰かに説明しようとして駄目だったようだ。ミレイズはそれ以上の説明はしなかった。

 敵がいつ現れるかもわからないのに戦いを予感する――確かに『戦いの気配を感じた』という表現は適切なのだろう。

「もうすぐ起こしに行こうと思っていたからちょうど良かったわ。コウガは今装備をしているみたいだけど、手間取っているのかしら」

 ミレイズはそう言ってコウガがいるだろう方向をちらりとみる。

 ツバキは「あっ」と小さく声を上げた。

「私、手伝ってきます」

 日の国の甲冑を一人で着るのは至難の業だ。ツバキは、先ほどミレイズが視線を向けた方へと小走りで駆けた。

 

 

 夜が明けていく。

 四人は小高い丘の頂点で待ち構えていた。薄暗い中でもその存在は確認できたが、太陽に照らされた眼下の光景には圧倒される他ない。

 四人が見たのは、平原の向こうから次々と現れるブルーオーガの群れだった。10? 20? そんな生やさしいものではない。その数はすぐに100を越え、それでもまだ草原の向こうから、岩の陰から次々と現れる。

 青い巨体に白い毛皮をまとい、手には不揃いな形の棍棒や大鉈(おおなた)を持っている。それぞれが高い戦闘技能を有し、たった1体でシーカー十人に匹敵する。それが、草原を埋め尽くそうという数で進軍を続けていたのだ。

 コウガとツバキは言葉を失っていた。次に奴らに出会った時、沸き上がるのは悲しみか、怒りか、そんなことを考えはしたが、実際にはそのどちらでもなかった。

 抗(あらが)いようのない――まるで、巨大な自然災害を前にしたような。

 それは絶望に近い感情だった。

「どんな感じ?」

 二人はミレイズの声で現実に戻される。セシウスもミレイズも、緊張感こそあるが、焦った様子は欠片もなかった。

 ミレイズに問われ、セシウスは目を凝らす。

「これは……必死な感じ、か? 追い立てられている魔物に似ているな」

「嫌々ってこと?」

「そこまではな。腹が減って殺気立っているだけかもしれん」

「冗談でしょ?」

「さすがに冗談だが、はっきり見えない分、断定は出来ないってことさ」

 風が吹き、セシウスのマントが翻る。その右手の小指に、昨日まではなかった琥珀色のリングがはめられていた。装飾がまったくない、ただのリング。しかし、その中で明滅するように、青と緑の繊維のような輝きが浮かんでは消えていく。一目で魔法のアイテムだとわかるものだ。

「あれ? ノルン使うの?」

「いや、忘れない内に付けただけだ。これは……3くらいでいいだろう」

「おっけ。任せた」

「任された」

 セシウスは一度振り向くと、

「大規模魔法を使うので、二人とも下がってください」

 事も無げにコウガとツバキにそう言った。

 下がるミレイズに合わせて、コウガとツバキもセシウスから10歩ほど離れる。

 そんな間にもブルーオーガの数は増え、先頭の集団が距離を詰めてくる。

 見下ろす草原には200を超えるブルーオーガの大群。それは神話に聞く魔の軍勢を連想させた。ツバキは大声を上げて逃げ出したい気持ちになる。心には大きな復讐の炎が点っていたはずだが、目の前の現実はそれを大津波のように覆い流していた。いったいどうすればこの状況から生き延びられるのか、ツバキの想像できる手段ではどれも無理だ。勇敢な騎士団の正騎士であっても、守るべき街を見捨てて逃げ出すかもしれない。

 しかし今、それに対峙しているのはたった一人の青年だ。

 年の頃はどう見ても20前後。顔の造りにはまだ少年の面影が残っている。

「アーガンナティ」

 セシウスが詠唱を開始した。その眼前には、大小様々な魔法陣が10近く、輝く青のラインを中空に描いていた。

「フェルソーフラム、レイアトゥライ、ノーラル」

 詠唱が続き、個々の魔法陣の輝きが強くなる。呪文により魔法陣が活性化している証拠だ。活性化した魔法陣は精霊への呼びかけとなり、その応答が術者の魔力に性質を書き込み事象を生む力を与える。

 セシウスの周囲で活性化した魔力が渦を巻く。白いマントが風に煽られたかのように波打ち、魔法の規模の大きさを物語る。

 活性化(アクティベート)された魔力は、砲台に詰めた砲弾のようなものだ。発射すると音と同等の速さで大地を、空気を伝い、そして炸裂する。

「サフィート、エルロゥ……ゼイラティ!」

 セシウスが右腕を横に薙()いだ。魔法陣が一瞬の脈動と共に消滅し、マントをなびかせていた魔力の風が止む。砲弾が発射されたのだ!

 ツバキは目を疑った。あまりにも呪文が短すぎる。それではまるで1章の魔法だ。

 しかし、続く光景にそんな『常識』は全て消し飛ぶ。

 ブルーオーガの軍勢の真上にあった雲がオレンジに光った――直後、雲を突き抜けて遠近感が狂ったかのような巨大な炎が滝のように流れ落ち、一気に草原を蹂躙する。

 天から炎は降り注ぎ続ける。真下にいた20体程は上を向いただけで飲み込まれた。周囲のブルーオーガたちはとっさに逃げようと体を捩(よじ)るが、1歩を踏み出す間もなく同じように飲まれた。

 炎は見る間に勢力を広げる。距離のあったオーガたちは必死に走るが、熱風で焼かれて炎が達する前に火に包まれる。そして直後には大きな奔流に蹂躙された。絶望の使者だったはずの軍勢が、あっという間に新たな絶望に飲み込まれていく。

 眼下の草原は、炎の海となった。

 ブルーオーガの大群というのも相当に悪夢のような光景だったが、衝撃はその比ではない。瞳に映るのは炎の赤だけだ。確かめずとも、生きているブルーオーガは皆無だろう。

「これ……が、5章の魔法?」

 ツバキも4章までなら見たことがある。それを遙かに上回るこの魔法は、後はもうアルケルナクアが記す最高峰――5章の魔法以外に考えられない。

「ううん」

 しかし、それは即座に否定された。

「これは3章のフレイム・フォールね」

「そんなっ、これが3章なはず……」

 フレイム・フォールは確かに3章に記された魔法で、火属性を得意とする魔導士がよく使用する。ツバキも見たことがある。だが、ツバキの知っているフレイム・フォールはこんな圧倒的な魔法ではない。そもそも、フレイム・フォールは火柱の天地を逆さまにしただけで、大規模魔法ですらない。

「セシウスの魔力って特別でね」

 にわかに信じられないツバキへ、ミレイズが種を明かす。

「あくまで例えだけど、魔力の一番小さな欠片が、粒みたいなものだとするわね。普通の人は、1粒に1の力が宿っているけど、セシウスは1粒に100くらいの力が詰まっちゃっている状態なの。だから、普通の人は10粒使って10の威力の魔法になるんだけど、セシウスが同じように使うと1000の威力の魔法になっちゃう。だから、セシウスが使えば3章の魔法でもこれだけの大規模魔法になるってわけ。実際はもっと複雑らしいけど、イメージとしてはそんな感じ」

 ようやく天空から炎の流れが途切れる。火の勢いが落ち着くと、岩や地肌が少しずつ顔を出した。

 草原は跡形もなかった。草は完全に焼き払われ、それどころか、そこに200を超える生物がいた痕跡もほとんどない。末端の方で焼け焦げた死体が散見されるだけで、ほとんどは骨まで焼き尽くされていた。規模だけではない。恐ろしく高温な炎だった。

「あの複数の魔法陣は?」

 コウガが尋ねるその声は、若干の震えを帯びる。

「あれは純粋魔法陣(プライム・サークル)、並列活性化(マルチ・アクティベート)っていう二つの技術を合わせたセシウスオリジナルの魔法ね。魔法陣ってどんなものもいくつかのパターンを組み合わせて作られているらしいんだけど、それを利用してセシウスは一つの魔法陣を小さな単位の魔法陣に分割しているの。そして複数の魔法陣を同時に活性化する呪文を使うことで、短い呪文で同じように魔法が使えるようにした、というわけ。魔法陣を分割とか、複数一緒に出すとか、私には難しすぎて真似出来なかったけど。そういうとこはやっぱりアクアってすごいんだよねー」

 独り言を付け足してから、ミレイズは大ざっぱに総括する。

「簡単に言うと、セシウスの魔法は速くて大きいってこと。逆に小さい魔法が使えないって欠点があるんだけどね」

 セシウスが白いマントを翻して三人の元へ戻ってくる。その背後の地形では燃える物を全て燃やし尽くしたか――既に炎は鎮火していた。

 コウガにはそれがとても現実味の薄い絵に映った。ブルーオーガの大群は天災にも例えられるような脅威だったはずだ。それが、杖の一振りで雑草のように焼き払われた(実際には杖すら使われていないから、もっと安易に行われたとも言える)。

 コウガは昨日の内に二人の実力を十分に測ったつもりだった。アスティアン・ナイトの実力を肌で感じ取り、『最強』の称号が誇張でも何でもないと確信した。しかし、それも甘かったと認めざるを得ない。

 ――これがアスティアン・ナイトなのだ。

 強力な魔物がどれだけいても関係ない。視界を埋め尽くすほどの敵を殲滅してなおセシウスが使った魔法は3章――全力を出していないのだ。例え千や万に匹敵するブルーオーガがいたとしても、同じように駆逐してしまうのだろう。

 今まではアスティアン・ナイトをずば抜けた戦闘力を持つ戦士だと認識していた。しかし、ここにきて心の奥底で感じたのは、到底人に感じるはずのない恐れであり、畏れだ。

 もしセシウスが人類の敵となったとすれば。村も街も数秒の内に消滅するだろう。王都を――国を滅ぼすことも容易(たやす)いかもしれない。とても人が抗える事象とは思えなかった。彼が神の人形(ひとがた)だと告げられれば、今なら容易に信じてしまうかもしれない。

 本物のアスティアン・ナイト――魔法帝国時代に最強と謳われた帝国騎士でさえも、果たしてここまで力を有していただろうか。

「もう近くにはいないようです。行きましょう」

 セシウスは、萎縮するコウガとツバキに対して特別な反応を見せることなく、軽い雑用をこなしてきたという風にそう促した。

 

 それからのルートでブルーオーガに遭遇することはなく、朝日の下を3時間ほど走ってとうとう四人はレヴェンドルクに到達した。

 巨大な灰色の城壁に囲まれたその姿は、もはや一つの山のようだ。高い城壁を越えた先には2本の塔の頭が見えるだけで、外から町並みは全くわからない。

 四人は十分に離れたところでゲルトシュタインから降り、岩の陰から城壁の正面門を伺った。鋼鉄の門扉は城壁のちょうど中間の高さまであり、手前側に完全に開いている。その正面には棍棒を持った4体のブルーオーガが立ち周囲に目を光らせていた。

 ブルーオーガの身長が城壁の3分の1ほど。人間はさらにその3分の1だから、城壁の高さがよくわかる。

「門番はあれだけかしら」

 ミレイズが朝日を手で遮りながら周囲に目を凝らす。

 その後ろで、ツバキは手を強く握り、歯を食いしばっていた。

 開いた門をブルーオーガが見張っている。わかってはいたことだが、やはり街は陥落し、ブルーオーガに占領されてしまったのだ。故郷を奪われたという実感が沸き、悔しさが胸を打つ。

 そんな少女の肩にセシウスが手を置いた。ツバキが見上げると、ほっとするような暖かい笑みを浮かべる。

「大丈夫、任せて。といっても、ここからはミレイズの担当だけど」

 担当者扱いされたミレイズは、両手を腰にあてがって呆れたように大きく息を吐いた。

「あんたは何のためにマグラムを持ってきたのよ」

「そうは言っても、加速を使わないと厳しいからな。マグラムは右足を無効化したし、さっきは200体以上倒した。ほら、お前の方が仕事していない」

「数を出すのはフェアじゃないと思うんだけど……まぁ、いいけどさ」

 ミレイズはゲルトシュタインに寄ると、積み荷から手斧――オーガキラーを引っ張り出した。そして、そのままレヴェンドルクの門へとつま先を向ける。

「でも、街の中に200体も残っているかしら」

 そんなことを言ってさっさと歩いて行ってしまった。

「俺たちも行きましょう」

 呆然と見送る形になったコウガとツバキだが、セシウスの声でその背中を追って歩き出す。

 ミレイズはまったく隠れる様子なく一直線に門へと向かっていた。最初に気付いたのは一番近くにいたブルーオーガだ。

 その1体が門を振り返り、そこで他のブルーオーガに敵の存在を伝えたのだろう。残る3体の視線が一斉にミレイズに向く。

 ――変化は一目瞭然だった。

 3体の内、1体のみが突然雄叫びを上げると、右手の棍棒を頭上に掲げて猛烈な勢いで走り出したのである。

 ブルーオーガの巨体はあっという間にミレイズに迫った。ミレイズを掴み取ろうとしたのだろう。馬のような速度のまま、棍棒を握ったのと逆の左手を目一杯突き出した。

 真横に1回跳んだだけ。

 地面をえぐるようなブルーオーガの踏み込みに対して、ミレイズのステップは羽根のように軽かった。

 ミレイズの右側でブルーオーガの手が空を切り、続いて巨体が前のめりに地面に滑り込む。それきり、そのブルーオーガは動かなくなった。転んで気絶した? そんなわけがない。

「あれが……オーガキラー」

 コウガには見えていた。すれ違い様に、ブルーオーガの全身の筋肉が緊張した瞬間が。そして、動かなくなったブルーオーガの左手――親指の付け根につけられた切り傷が。

 倒れたブルーオーガが動くことは二度とない。その見逃してしまいそうなほど小さな傷が、瞬時にその命を奪ったからだ。

 ミレイズは倒れた背後のブルーオーガを確認してから手元のオーガキラーに目を降ろし、満足そうに口元をつり上げた。

「うん、いいじゃない」

 ミレイズは正面に向き直った。直後、また1体が豹変し、ミレイズへと突撃を開始する。

 その姿はまるで炎の明かりに誘われた羽虫のようで。数秒後にはやはりそれと同じ結末を迎えた。

 

| 11:37 | comments(0) | trackbacks(0) |
2013年。あけましておめでとうございます。

 あけましておめでとうございます。

 去年はずっとはぐのらを連載していましたが、今のペースで続けば今年中に完結する見通しです。
 全4章の予定で今は3章の途中ですね。実際には大体更新分+2,3話を書き進めているので、執筆自体は3章後半に入っています。
 更新ペースは月1,2回ですが、その分1話1話のボリュームは多めなのでご勘弁を。
 ここまでの展開は比較的のんびりしていましたが、3章後半からはどんどんギアを上げていくので、ぜひ最後までお付き合いください。

 たいして宣伝もしていないサイトなのでゴゴゴ! と盛り上がることはないと思いますが、どうぞ今年もよろしくお願い致します。


| 02:45 | comments(0) | trackbacks(0) |
はぐれ賢者と野良女神-神には神を- 18
 

 

 

 コウガは背の低い岩に敷いた毛布の上で、あぐらをかいた膝に両手を置いて瞳を閉じていた。甲冑を脱ぎ、上下黒の肌着姿だ。表面上はこの上なく落ち着いて見えるが、実際にはここ数日の出来事が目まぐるしく巡り、歯を食いしばるほどに感情はかき乱されていた。

 何度も何度もそれらは脳裏に浮かんだ――戦闘で壊滅した第2守備隊の惨状。仕える主の決然とした表情。覚悟を宿した隊員たち一人一人の顔。門の先にあった地獄。次々と散っていった仲間。そして、ツバキの叫びと涙。

 痛いほどに膝を握りしめて、感情を押し殺す。

「落ち着きませんか?」

 背後から声を掛けられて、コウガは目を開けてそちらに体を向けた。そこにいたセシウスも、武装を解除してラフな格好をしている。

「えぇ。これまでも多くの修羅場をくぐったつもりでしたが……なんとも、今回は割り切れません。意味もわからず襲われ、家族同然だった仲間を多く失いました」

 抑制された声だったが、込められた想いは沈痛だった。

 それを感じ取りながら、セシウスは星空を見上げる。

「なぜブルーオーガがレヴェンドルクを襲ったのか。それは解き明かさなければならない重要な謎だと思います。今回ブルーオーガを駆逐しても次に何が来るかわかりませんし、他の街で同じことが起きないとも限りません。少なくとも、氷河で暮らしていたブルーオーガが自発的にここまでやってくるとは考えにくいですが……」

 コウガが眉間にしわを寄せ、表情を厳しくする。

「背後に何者かの意図があると?」

「人か、亜人か、特殊な魔物かはわかりませんが、可能性は高いでしょう。たまたまブルーオーガの中に高い知性を持った個体が生まれた可能性もありますが、奴らを操る存在はいるはずです。単に狩り場を探して移動しただけなら、ここまで南下するわけがありません」

 コウガは体の正面で両手の指を組み、固く握りしめる。その心の中で燃え上がった炎は、しかしすぐに鎮まっていく。

 コウガは、少し長い息を吐く。

「真の敵が何であれ、まずは街を解放せねばなりません。無関係なお二人を巻き込んでしまい恐縮ですが、どうかご協力のほど宜しくお願い致します」

 両手を膝に戻し、コウガが頭を下げる。セシウスは肩の力を抜いて応えた。

「どのみち村にも来たでしょうから、無関係ではありません。何より、お二人が早く報せてくれたおかげで、俺たちが村を離れる前に事態を知ることができました。もしかしたら俺たちも大事な恩人を失っていたかもしれないですから、正直助かりましたよ」

「村を離れるのですか?」

 セシウスはコウガが座っている岩の隣、草はらに腰を下ろす。

「近い内にメイジスへ出発する予定でした。それこそ、ここ数日というタイミングです」

 コウガが息を飲む。今この状況が、どれだけ希少な巡り合わせを引き当てたものなのかを考えたのだろう。

 実際のところ、セシウスとミレイズはもうほとんど出発の準備を済ませていた。コウガとツバキが来なければ、ソールたちと一緒にメイジスへ向かっていたかもしれない。

1020ならともかく、さすがに100200といった数は村のみんなでは厳しいですから本当に助かりましたよ。まだブルーオーガたちが襲ってきた理由はわかりませんが……少なくとも、犠牲になった方々の命は無駄ではありません。結果としていくつもの街や村の、何千という人の命を救ったかもしれないのですから」

 そう言われてコウガははっとした。家族のように過ごした隊員たち――彼らは街を守るためにその若い命を散らした。それが無駄だったとは決して思っていない。しかし、自分たちが意図した以上に、より多くの命を救うきっかけとなったのであれば、それは彼らの魂にも、残された自分にとっても大きな報いになる。

「ここまで条件が揃ったんです。必ずうまくいきますよ」

「……ありがとうございます」

 コウガはまた、より一層深く頭を下げた。

 

 

 * * *

 

 

 追っ手の存在が明らかになったのは、出立から丸二日と少しが経った夜明け前、短い休憩を取っていた時だった。

 レヴェンドルク特務隊は、生き残った六人でひたすらアルメールを目指していた。

 使命感で、怒りで、悲しみで、全員がある種の興奮状態だったためか、誰も疲れた顔はしなかった。ただ、馬を休ませるためにどうしてもこまめな休息が必要だ。

 初めて追っ手の姿が見えたのはそのタイミングだった。

「きた……隊長、奴らが来た!」

 最初に気が付いたのはグラニッツさんだ。赤毛の長い前髪を垂らした典型的なお調子者で、軽い身のこなしと器用な手先で盗賊めいたことが得意な人だった。

 私たちはほとんど追っ手というのを意識していなかった。都市の包囲を抜けたことで、奴らからは逃れたと。最低限、この辺りの魔物に注意さえしていればよいと。だから、グラニッツさんもそういった魔物を警戒していて気付いたのだ。

 私たちは一斉に彼の指した方角――私たちがやってきた方角を振り返った。

 見えない。

 最初は見えなかった。でも、目を凝らすと水平線の辺りに動く輪郭を見つけることができた。私ではあれが奴らだとは気付かなかっただろう。グラニッツさんだからこそ見つけられたのだ。

 奴らは走っていた! あの巨体だ。きっと馬のように速い。

「いち、に……10体っすね」

「隊長、出発しましょう!」

 迫る隊員たちを相手に、父は険しい表情で首を振った。

「馬をもう少し休ませる。……休憩はこれが最後だ」

 全隊員が息を飲んだ。

 父の判断は間違いなく正しかった。馬を休ませる頻度が増えて、明らかに私たちの進むペースは落ちていた。だから、ここに来て追いつかれてしまったのだ。この先で休憩を入れてはその時奴らに追いつかれる。追いつかれれば――私たちは殺されるのだ。

 しかし、馬の休憩が必要ないかと言えばそれは違う。馬はもう限界だ。このまま休みなく走らせ続ければ途中で死んでしまう可能性が高い。例外があるとすれば父の馬――他の馬より一回り大きな名馬『トキサダ』くらいだろう。とても頑丈で、今も他の馬と比べて疲れを見せていない。

 私たち隊員はきっと同じことを考えた。

 ――隊長しか生き残らない。

 もしかしたら、一人くらいは馬が保つかもしれない。でもその程度だ。しかし、私たちは同時にこうも思った。

 ――隊長を、絶対に死なせてはならない。

 父の人望は確かだった。特務隊は元々落ちこぼれの寄せ集め――それが実績を上げ、信頼を得てきた課程は隊員たちにとって特別な思い出で、人生そのものといっても決して大げさではない。ずっと日陰者でしかなかった自分たちが初めて胸を張って輝けたのは、父のおかげだと皆が思っていた。私もそんな父を心から尊敬していたし、父がこれからのレヴェンドルクに必要な人間であることを疑う余地はなかった。

「全員、残った装備もなるべく外して軽くしろ。食料は置いていく。水は……自分が飲む分だけを持て」

「はい!」

 断言できる。父は全員の無事を諦めていなかった。

 でも私たちの心は決まっていた。私たちは命を燃やす場所を見つけたのだ。そう確信していた。

 だが、それは間違いだった。私だけが、違ったのだ。

 

 私たちは馬を全力疾走はさせず、駆け足でアルメールを目指した。ただ、魔物と出会った時だけ、逃げるために速度を上げた。到着まであと半日も掛からないはずだが、いつ、誰の馬が最初に限界を迎えるかと、息の詰まるような緊張感が続いていた。

 たまに背後を振り向いても奴らは見えなかった。奴らもずっと走っているわけではないのだろう。このまま馬に無理をさせずに速度を保てば、もしかしたら全員助かるかもしれない。

 しかし、徐々に馬の速度は落ちた。それが顕著だったのはグラニッツさんの馬だった。

「おい、こら、止まるな、おい……」

 やがて、グラニッツさんの馬は完全に止まってしまった。私たちも止まって振り返ると、グラニッツさんは長い前髪をいじりながら、いつもみたいに笑った。

「だーっ、やっぱちゃんと世話してねーと駄目っすね。こいつ、俺のために死ぬまで働くのはごめんだってよ」

 馬がそれに答えたかのように鳴いた。いつもだったら笑える場面でも、私の背筋には絶望感が降りてきていた。

 言葉をなくした皆を、グラニッツさんは鼻をこすって笑い飛ばしてみせた。

「へっ、まぁ自業自得っすわ。隊長、俺が囮になって奴らを引き離します。どんだけ足しになるかわからんっすけど、別の方角に誘導できるようやってみます」

「グラニッツ……」

 父はすぐに返答できなかった。

 グラニッツさんは特務隊で一番やんちゃで、父に迷惑をかけた回数なら誰にも負けない。だからこそ父は、でかい子供ができたようだと、本当に可愛がっていた。私も散々いたずらをされたけど、落ち込んでいる時はいつだってグラニッツさんが最初に気付いて声を掛けてくれた。

 父が迷ったのは、ほんの数秒だった。

「すまない、頼む」

 その数秒の間に、どれだけの葛藤があったのか私にはわからない。でもきっと、私では耐えられないほどに胸が痛かっただろうとは思う。

 父は馬から下りて、深く深く頭を下げた。

 グラニッツさんはそれを見て一瞬驚いた顔をしてから、満足そうに、照れて笑った。彼が何でそんな顔をしたのか私にはよくわからなかった。でも、死地への命令を受けた悲壮感はこれっぽっちもなかった。

「トーラス、わりぃな、お前の笛壊したの俺だ」

 トーラスさんは長身で細身の魔導士で、父を除けば特務隊で最年長だ。音楽が趣味で、色んな楽器を持っている。

 軽く片手を上げて謝ったグラニッツさんに、トーラスさんは両腕を組んで答えた。

「そうだと思っていましたよ。でもまぁ、一応、直す努力だけは見られたから……許します」

「へへ、サンキューな。……グロックス、お嬢をちゃんと守れよ」

「あぁ、任せろ」

「お嬢、前にお嬢のパンツがなくなったのあれも俺のせいだけどよ、変なことのために盗んだんじゃなくて、色々妙なことになって破いちまっただけなんだ。代わりの置いておいただろ? あれで見逃してくれ」

 ひと月くらい前の話だ。その頃の光景がよぎって、どうしようもなく一気に涙が溢れた。

「あれ……代わりの、あんなの履けないですよ」

「すぐに似合うようになるって。あとは……クローム」

 クロームさんは長い黒髪を一つにまとめた、顔立ちの整った剣士だ。特務隊ではグラニッツさんと衝突することが多くて、グラニッツさんがいたずらをするとすぐに誰かが『グラニッツ係を呼べ』と言ってクロームさんの出番になるのが常だった。

「なんか色々迷惑掛けたけどさ、お前とつるむのめっちゃ楽しかったぜ!」

「……はぁ」

 グラニッツさんがぐっと親指を立てると、クロームさんは馬上で、いつものようにため息を返した。

 そして馬をグラニッツさんの目の前まで進めると、後ろを示すように顎をしゃくった。

「乗れ」

「……は?」

「さっさと乗れ。俺も残る」

「おい、クローム!」

 グロックスさんが詰め寄っても、クロームさんはいつものように顔色一つ変えなかった。

「馬も無しにこんなチビが一人いたところで囮になるか。ろくに距離も稼げず踏みつぶされるのが精々だろう」

「いやでもよ、こんなところまで――」

「お前は、俺がいないと駄目だろう?」

 クロームさんが微笑んで、グラニッツさんは言葉をなくした。でもすぐに、鼻の頭をかいて笑った。

「ちげぇねぇや」

「……隊長、許可を」

 父はもう迷わなかった。

「あぁ、お前たち、存分にやってこい」

「はい!」

 クロームさんは深く頭を下げた。グラニッツさんも両手を足の横にぴったり付けて、見たことないくらい綺麗な礼をした。

「行くぞ!」

 父が最初に踵を返した。すぐにトーラスさんとグロックスさんも後に続く。

 私も手の甲で涙を拭って、その後ろを追いかけた。一度だけ振り返ると、二人を乗せた馬が遠ざかっていくのが見えた。ちらりと見えた二人の横顔は力強くて、不思議と楽しそうだった。

 

 それからまた数時間、私たちは岩が点在する草原を走り続けた。アルメールはもうすぐそこのはずだ。少しずつ希望が見えていた。

 けれど、同時に、絶望も隣り合わせだった。

 今度はトーラスさんとグロックスさんの馬だ。グラニッツさんの時のように走ることを拒否しているのではない。純粋に体力の限界だった。かろうじて駆け足の体は保っているが、もう人間が走るのと大差なかった。

 それでも走り続けさえしてくれれば希望は繋がる。私はそう信じていた――というより、そう信じたかった。けれども、あっという間に現実が背中から追いついてくる。

「くそっ、きやがった!」

 グロックスさんの声で全員が背後を確認する。水平線近くで3体の青い巨人が走っていた。数が明らかに減っている。グラニッツさんとクロームさんがうまくやったのだ。

 それでも、1体ならまだしも3体を同時に相手はできない。追いつかれれば殺されるということに変わりはなかった。

 まだ距離はあっても、どうやら相手の方が速い。このままではあっという間に追いつかれる。

「隊長、俺はここで抜けます」

 走りながらグロックスさんがそう言った。私はそれを聞いて心臓が跳ね上がるような衝撃を受けた。

「コイツはもう限界です。足並みを揃えていては追いつかれます。少しでも時間を稼ぐので行って下さい」

 トーラスさんがそれに続く。

「右に同じ。私も残ります。効果のほどはわかりませんが、今の距離なら3章くらいは間に合いそうですし、っとと!」

 トーラスさんが馬の速度を緩めると、急に糸が切れたかのように、トーラスさんの馬がゆっくりと横倒しになった。トーラスさんは慌てて飛び降りる。

 馬は既に事切れていた。文字通り、死力を尽くして走っていたのが、一度緩めたことで限界がきたのだろう。

「ここまでありがとう」

 礼を言って馬の腹を撫でてから、トーラスさんは馬を止めた私たちへ向き直った。

「隊長、行って下さい」

 もう、視界の先に敵がいる。猶予はなかった。

 私は、ここだと思った。トーラスさんと、グロックスさんが残る。ここで自分も残ろう。1秒でも長く奴らを引きつけよう。できれば腕の1本でも斬り落としてやろう。

「わたしもっ――」

「ツバキ、お前は駄目だ」

 きっとグロックスさんはそんな私の考えを全部わかっていた。

「どうしてですか!?」

 私はひどく動揺した。街を――家族を、大好きな人たちを救うため、全身全霊を掛けて父を守る。そのために、当然私もここで戦わせてもらえると思っていた。

「お前の馬はまだ走れるし、トキサダならお前も一緒に乗せられる。無駄に死のうとするな、生きろ」

「でもっ」

「俺たちはお前には特にな……生きて欲しいんだよ」

 その言葉にトーラスさんも頷く。

 私は一瞬頭の中が真っ白になった。その瞬間になって初めてわかったのだ。みんなは父だけではない。私も含めて生かそうと考えていたのだ。

 後になって冷静になれば、それは全く不自然なことではなかった。

 父の馬は、他のどの馬よりも強靱だ。だから、他の馬よりも遠くまで走ることが出来る。そこまでは私も考えた。しかし、私はそれ以上思い当たらなかった。私は『誰よりも軽かった』のだ。私の馬もまた、より遠くまで走ることが出来たのである。

 助かる可能性が高い私を、皆が生かそうとする。それは当然のことだったのだ。

 でも、その時の私は困惑で一杯だった。勝手にも、裏切られたようにすら感じていた。

「嫌だ、嫌だ私も!」

「ツバキさん」

 トーラスさんは、これまでで一番優しい顔をしていた。

「妻と子供に先立たれた私ですが、あなたと一緒に過ごした日々は幸せでしたよ。本当の娘のように思っていました。どうかあなたは、これからも健やかに生きて下さい」

 グロックスさんは馬を寄せると、いつもみたいに、大きな手で私の頭を撫でてくれた。

「俺もお前のこと、大事な妹だと思っているよ。まぁ正直に言えば、10年後が楽しみだったりもしたんだが」

 頼もしい笑顔だ。今まで、たくさんの不安も吹き飛ばしてくれた笑顔だ。その笑顔に、手の感触と温もり。私は一気に涙が溢れて、まともにしゃべることも出来なくなった。

 物心ついた時からずっとグロックスさんの背中を追いかけてきた。たくさん一緒に遊んで、いたずらもした。大きくなってからは何回も相談に乗ってもらったし、特務隊では危ない任務で助けてもらったことも一度や二度じゃない。つらい時、「お前なら大丈夫だ」と笑ってくれた。それだけで頑張ることが出来た。

 たくさんの思い出が蘇る。血は繋がっていない。でも、間違いなくグロックスさんは私にとって『大切で大好きな兄』であった。

「自分から死のうだなんてするなよ。街はこれから大変だ。みんなを笑顔にしたいんだろ? 俺たちの分も頼んだぞ」

「やだ、わた……し、私っ」

「もう泣くななんて言わない。一杯泣いて、笑って、いい女になってくれ」

 頭から手が離れた。

 グロックスさんとトーラスさんが互いに頷く。

「隊長、俺らの街とそいつ、頼みます」

「……あぁ、任せろ」

 グロックスさんの馬が反対方向へと走り出した。それを駆け足でトーラスさんが追いかけながら呪文の詠唱を始める。二人の先にいるのは――3体の青い巨人。

「ツバキ行くぞ!」

「やだっ、やだっ、やっ……トーラスさっ……お兄ちゃあああああああん!」

「ツバキイイイィ!!!」

「ぅ……っ」

 何も考えられない頭でも、父の声で勝手に体が動き出した。手綱を取り、馬を反転させる。

「うああああああぁぁぁぁぁぁっ!」

 がむしゃらに馬をスタートさせた。私は馬にしがみつくようにして、必死に父の背中を追う。

 どれくらい走ったか。1時間? それとも10分くらいだったのかもしれない。

 私はふいに宙に投げ出された。地面を転がって起きると、後ろで馬が倒れていた。限界だ。心臓が破裂したのだ!

 これまでなら、残って最期の戦いに挑もうとしただろう。でも、私はここで初めて死にたくないと思った。どうしようもなく、生きなければいけないと思った。

「ツバキ!」

 少し先の馬上から父が手を伸ばしていた。私はそれに飛びついた。

 私が父の腰に抱きつくと、すぐにまた馬は走り出した。父は甲冑を着ていて、私まで乗せて、それでもトキサダは健脚を保っていた。すごい馬だ。これならきっと逃げ切れる――そんな一筋の希望が心に射した。

 その矢先だ。父は一瞬振り返って、叫んだ。

「跳べ!」

 私も遅れて背後から何かが飛来してくる気配に気付いた。直後、父に引っ張られるようにして地面に落ちる。

 それと同時だ。一瞬前まで希望だったトキサダは、一片の遠慮も慈悲もなく、丸太のようなものに叩き潰された。

 私は一瞬何が起こったかわからなかった。奴らが持っていた棍棒を投げたのだと理解したのは後になってからだ。

「走れ!」

 父に言われるまま、その背中を追って走り出す。

 まばたきすることすら忘れ、涙で湿っていた瞳は痛いくらいに乾いた。肺の空気を最後まで出し切って、やっと思い出したかのように息を吸う。

 一瞬父の背中の向こう側を見た。そこは、形容しがたいほどに何もなかった。草と岩だけだ。村なんて影も形もない。

 ――ここで死ぬのだろうか。

 脳裏をよぎった絶望を、刹那に否定する。

 ――そんなわけがない。ここで死ぬはずがない。

 あと自分がどれだけ走れるのかも、奴らがどれだけ近付いて来ているのかもわからない。

 体力はとっくに限界だった。でも私は走り続けられた。背中を押されている気がした。小さな頃から一緒に過ごしてきた特務隊の皆の、大きくて温かい手が押してくれている気がした。

 ――避けろツバキ!

 グロックスさんの声が聞こえた気がした。真横に跳ぶと、すぐ横を猛烈な勢いで回転した棍棒が横切り、すぐ先の地面を砕いて突き刺さる。父も同じように避けている。

 すぐ立ち上がる。また走り出す。

「はっ、はっ、はっ」

 胸が苦しい。頭がぼぅっとする。

 たった数日前、みんなで笑い合っていた光景が浮かんだ。すごく悲しかった。痛かった。でも不思議と、涙よりも、胸の奥に力が湧き出てきた。

 走る。走る。走る。

 蹴躓く。手をついてこらえる。そして顔を上げて――

 

 私は、風のように駆けてくる二人の戦士の姿を見た。

 

 この時。

 きっと私の中で何かが終わって、何かが始まった。

 

 

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はぐれ賢者と野良女神-神には神を- 17
 

 

3章 最強の証明

 

 

 ランプの明かりが狭く、窓のない室内を照らす。

 本棚が一つと、机が一つ置かれただけの、部屋とは言い難いほどに狭い空間。今は、床にも机にも無数の本や書類がぶちまけられ、まったく足の踏み場もなかった。

 そこで椅子に座って一心に1枚の紙面を見つめていたのは、黒髪碧眼の、白いマントを羽織った青年だった。少し伸びた髪は激しく乱れ、前髪は流れる汗で額に貼り付いている。

 室温は冷ややかだ。彼に汗を流させているのは、赤く血で染まったその左腕だった。完全に骨が砕かれており、治癒魔法でも完治するかどうか。際限なく熱と苦痛を生み出すその左腕は、用意さえあれば今すぐ切り落としてやりたいと思わせる程だ。

 気を抜くと意識を失いそうな状態でいてなお、青年は力強い眼差しで机に広げられたこの城の図面を見つめ、右手の指を這わせていく。

「やはり、ここか……」

 その指が、何も書かれていない空間で止まった。いくつかの文献と、父から引き継いだ情報を基にすると、その場所でまず間違いない。

「場所はわかった。呪文もある……あとは」

 彼――レヴェンドルクの領主ケイルス・クトゥルクが探していたのは、はるか昔から引き継がれてきた盟約の証であり、この都市の切り札だ。

 しかし、文献を読み進めるうちに判明していることがある。自分では、『それ』を使うことができない。

 ケイルスは大きな息を吐いて、椅子の背もたれに寄りかかると天井を仰いだ。

 頭に浮かぶのは、自ら死地へと送った特務隊の隊員たちだった。

「ブルーオーガ……北の果て、氷河に住むといわれる屈強な亜人種」

 声に出し、意識を保つ助けとする。眠ってしまえば、二度と目が覚めないのではないかという恐怖があった。

「実際に氷河にたどり着くほどのシーカーはそうはいない。それほどまでに攻略難易度の高い地域からやってきた敵が、数百体はいる。例えアルカスの騎士団やギルドの助力を得られたとしても、無駄に犠牲を増やすだけに終わるかもしれない」

 コウガへ命令を下した時の、自らの思考をなぞる。

「アルメールの賢者と女神――噂が流れ始めたのは半年前、いやもう少し後か。アルメールを通った旅人から『賢者と女神』という単語が頻繁に出るようになった。彼らはそれ以上の詳細を決して語りはしなかったが……恐らく口止めされていたのだろう。

 『賢者と女神』と言われて想像するのは魔杖の賢者セシウスと夜明けの女神ミレイズだが、それが隠語のようなものであれば……それが意味するのは間違いなく二人組――強力な男女の戦士だ。口止めしたのは後ろ暗い過去があるか、単純に騒ぎにしたくないだけか……これは後者だ」

 徐々にその声が熱を帯びる。

「ここ1年で圧倒的な知名度を持ったが故に、素性を明かせば必ず厄介事がついてくる。だから素性を隠した。つまり、アルメールの賢者と女神の正体は男女のアスティアン・ナイト――現時代における最強の戦士だ!」

 言い切って、荒い息を吐いた。いつの間にか、熱に浮かされた頭がクリアになっている。

 ケイルスは自嘲気味に笑った。

「こうして厄介事を押しつけようとしているのだから、口止めしていた彼らの判断は正しいのだろうな」

 しかし、もうその二人に賭けるしかなかった。

 ブルーオーガは強力な個体だ。それが群となっている。ブルーオーガ1体を十人掛かりで倒せるとして、奴らが100体いれば単純にその10倍の人数が必要になる? いや、違う。そんな単純な計算が通じるのは、常に110の構図になるような場合だけだ。現実では、ブルーオーガもまた複数体で連携してくる。彼らも少なからず知恵があるのだ。

 さらに、例えばブルーオーガ5体が密集していたとして、その10倍の人数で囲んでも同時に相手できるほどのスペースがない。対して、ブルーオーガ5体はひたすら目の前の人間を屠っていけばいい。

 結局のところ、よほどの大軍を集めない限り、1対多での戦いを前提とした戦力ではブルーオーガの大群には勝てないのだ。かといって、11で戦えるだけの人間を大量に集めるのは現実的に難しい。

 ではどうするか? 勝つために必要なもの――それは圧倒的な個の力だ。桁違いに強力な個体がいれば勝機がある。

 アルカスにも、タイミング良くSランクシーカーが滞在しているかもしれない。しかし、ただでさえ絶対数の少ない『頂点に立った探索者』を、何のあてもなく期待するのは分が悪い賭けだ(そもそもアルカスは中継地点となる都市であり、長く滞在するのはこれからフォッシル地方に挑むシーカーたちだ。強力なシーカーはすぐフォッシル地方に向かってしまう)。

 少しでも可能性の高い方に賭ける。賭けに負ければこの都市は終わり。これはそういう決断だ。

 後は、特務隊が無事アルメールにたどり着いたかどうか。

 全員無事――はあり得ない。少なくとも、およそ半数しか包囲を突破できなかったという目撃証言がある。

 特務隊は気のいい連中ばかりだ。一時期、過剰な規律主義によって崩壊しそうになったこの都市の守備隊を救ったのは、奔放で、いい加減で、すぐにくだらない騒ぎを起こす特務隊の面々だった。一見すると気の抜けた怠惰な集団にも見えるが、隊長のコウガのリーダーシップの下、有事には突出した働きを見せる。何より市民と仲が良く、使命感や責任感とは関係なく誰かのために全力を尽くすことができるチームだ。

「……よし」

 ケイルスは立ち上がった。

「聖堂は……昨夜(ゆうべ)破壊音がしたな」

 雷が落ちたかのような轟音が響き、振動がこの部屋まで伝わってきていた。幸い、聖堂から地下へは通じていないため、どれだけ破壊されたところで市民に被害は及ばない。

「宿舎を迂回するか……」

 今の怪我のままこの部屋に閉じこもっていては、1日保たずに死ぬかもしれない。

 ――特務隊だけじゃない。特務隊が門を出た後、彼らのために1体でも多く釘付けにしようと他の隊は獅子奮迅の働きを見せた。結果、守備隊の避難は遅れその大部分が壊滅。隊の体裁を保てているのは第一守備隊だけだ。

「既に多くの命が失われた」

 熱のこもった息を吐き出す。

「後は祈るだけ……などと怠けていては、彼らの魂に申し訳が立たない」

 アルメールとの距離は急いで二日と半日。早馬を飛ばしても、往復で五日はかかるはずだ。どんなに早くても、あと丸一日は敵だらけのこの都市で生き延びなければならない。

 簡易のものでいいから治療の道具が欲しい。水と食料も必要だ。

 最悪の事態を想定して嘆くのではない。特務隊はアルメールに到達し、アスティアン・ナイトと共に戻ってくる。その最善の事態に備え、自らもまた最善を尽くすのだ。

 

 

 グレイブニルの大沼を出発したセシウスたち四人は、途中で休憩を取りつつ北上を続け、日が暮れて少し経った頃には行程の3分の2の終えていた。通常の馬ならば二日近くかかる距離だが、ゲルトシュタインの圧倒的な速度はヴァーミリオンウルフさえ簡単に振り切る。途中一度の戦闘もなかったこともあり、たった一日でここまで到達していた。

「今日はここで野営しましょう」

 セシウスがゲルトシュタインを止めたのは、人間の背丈ほどの岩が比較的多く集まっている場所だった。

 降りてすぐ、セシウスは短い呪文を呟いて周囲に結界を張り巡らせる。

 旅人が使う結界魔法は、物理結界の上に幻惑魔法を重ね掛けしたもので、基本的には(理想的には)幻惑魔法で相手が結界内に入らないようにするものだ。ただし、それが効かなかった場合に備えて物理結界を内側に展開する。歩いていて物理結界にぶつかればその中に誰かいるというのは魔物でもわかるが、結界が壊されるまで、寝ている仲間を叩き起こす時間くらいはできる、という訳だ。

 セシウスもそのセオリーに従ってはいるが、魔法の強度はその辺の魔導士の比ではない。幻惑魔法を抜けて物理結界までたどり着く魔物はまずいないはずだ。

「これは……」

 コウガが前後左右の空を見回した。魔力による空間のゆらぎから、張られた結界の『広さ』を把握したのだろう。

 状況にもよるが、少なくとも物理結界は小さく作った方が安全だ。物理結界が広がれば広がるほど結界の接触面が大きくなり、魔物との遭遇頻度が上がるためである(幻惑魔法と物理結界の間に広く間を取ることはよくある)。

 しかし、セシウスの結界は物理結界を含め異常なまでに広い。アルメールの中央広場が丸々収まってしまうほどだ。

 手練の魔導士数人が掛けたと言われれば、納得できる規模かもしれない。しかし今はブルーオーガが近くにいるかもしれないとはいえ差し迫った脅威はないし、現にセシウスも『まるで1章の魔法』を使うかのように軽い所作で魔法を行使した。しかし、結界そのものは3章以上の比較的複雑な魔法で構築されたような巨大なもの。

 ミレイズの凄さは傍目から見てよくわかる。その身のこなし全てが洗練され、思い出したように人間離れした技を披露してくれる。

 セシウスはそれと比べると随分と得体が知れなかった。剣を抜くだけで聖遺物を無力化する。殺気を当てるだけで巨大な魔物を制圧する。そして、小石を投げるかのごとく軽々と強力な魔法を発動する。

「あぁ、なんでもありません」

 ゲルトシュタインに積んだ荷を解いているセシウスが、コウガに視線を向けた。自然な動作だったが、それだけでコウガはそう答えていた。

 ――どうかしましたか?

 そう聞かれた気がしたからだ。

 しかし、コウガの中に大きな違和感が生まれた。今の周囲を見回すのと変わらないような視線から、相手の思惑を読み取ることができただろうか?

「日の国の侍はさすがに鋭いですね」

 会話だけだとまったく意味が分からない。

 ――あぁ、なんでもありません。

 ――日の国の侍はさすがに鋭いですね。

 だ。

 しかし、コウガは状況を正確に把握していた。セシウスのギフトにより、感情を直接送られ、そして読み取られたのだと。

「感情、というのは、心の声まで聞こえるものですか?」

「いや、さすがにそこまでは。本当に感情だけです。喜怒哀楽を基本として、期待や不安、疑念や確信に、暑い寒いとか。それだけわかれば、後は状況から何を考えているか予想しやすいというだけで」

 人は非言語的なコミュニケーションも日常的に使っている。顔の表情や身振り手振りでだ。そこから、何を考えているか、というのは意外なほど予測できる。

 セシウスのギフトはその非言語コミュニケーションを強化したようなものらしい、とコウガは理解した。そういえば、セシウスとミレイズは度々アイコンタクトだけで意志疎通をしている。二人の信頼関係がなせる業(わざ)だと思っていたが、どうやらそれだけではないようだ。

「ツバキちゃん、女の子はあっち行こ」

「あ……はいっ」

 もう1頭のゲルトシュタインから同じように荷を降ろしていたミレイズが、荷物とついでにツバキの手を取って岩の隙間を歩いていった。ツバキは困惑しつつも大人しく連行されていく。

 通常野営をするパーティは固まって眠るが、セシウスの張った結界は強力かつ広い。ミレイズ一人いれば戦力として申し分ないし、ここで男女を分けることにこれといったリスクはないのだ。

「俺たちも休みましょうか」

 二人を見送ってから、セシウスは食料の入った革袋を持ち上げた。

 

 

「この辺にしよっか」

 起伏のない草原で、三つの岩に囲まれた狭いスペースにミレイズは立ち止まった。

 するとミレイズはすぐに弓矢を降ろし、革鎧と剣帯と右腿のホルダーを外してその辺に放り投げる。黒革のブーツも紐をさっと解いて脱ぎ、さらにその下の白いソックスも取って裸足になってしまう(ちなみにソックスは足首丈で、上を赤い糸で結んで留めるものだ。オーガキラーはゲルトシュタインに載ったままである)。たちまち黒いシャツにショートパンツとラフな格好になったミレイズは、岩の狭間に毛布を広げてその上に腰を下ろした。

 ツバキは呆然とそれを眺めていたが、ミレイズは旅のサーカスの一団を前にした子供のように期待に満ちた瞳をツバキに向けて、パンパンと自分の隣を2回叩いた。

「はあ……」

 ツバキは困惑しつつも、おずおずとそこに腰を下ろす。

「あ、だめだめ。そんな野暮ったい装備は外さないと」

「ですが、もし急な戦闘に――」

「ならないわよ。セシウスの魔法が掛かっているんだから」

 それは言い換えれば『アスティアン・ナイトの結界』ということで、確かに説得力はある。しかし、頭では理解できても感情が追いつかないことはままあることだ。ツバキのような少女であればなおさらに。

「あのっ、ミレイズさんっ?」

 しかし、ツバキの決心がつく前に、ミレイズの手によって着々と武装解除が進められる。

「はい、ばんざーい」

 抵抗しようと思えばできたかもしれないが、ミレイズの手際は流れるようにスムーズで、ツバキは完全にその流れに乗せられてしまった。

「はい、腰上げて」

 自然と従ってしまい、そして――

「あ……あの、これは……」

 あっという間に、ツバキは下着姿にされていた。残る布は胸と腰に1枚ずつ。それでもなお鎌首をもたげるミレイズの両手――それにはさすがにツバキも抵抗した。

「まま待ってください! これ以上は無理っ、無理ですっ!」

「いいじゃない、女の子同士だし」

「そういう問題ではありません! ここは外です!」

「外で脱ぐのが好きな人もいるって聞いたことがあるけど」

「少なくとも私は違います!」

「うん、私も脱ぐからそれでおあいこ」

 言うが早いが、ミレイズがスパッとシャツを脱ぎ捨てる。ツバキは反射的に両手で目を覆った(無論、ミレイズも下着は付けているが)。

「何も解決していません!」

「そういう見方もあるかな」

「それしかないです!」

 目を隠した状態をチャンスと取ったのか、ミレイズがツバキの胸に手を伸ばす。

「きゃぁっ!」

「ん〜、可愛い声」

 ぎりぎりで脱がされるのを防いだところで、今度は両手で体を抱きすくめられてしまう。

「あの、あのっ」

 出会って二日も経っていない相手との濃厚すぎるスキンシップに、ツバキは顔を赤くしつつ弱々しく抵抗した。弱々しいのは本当はイヤじゃないから……ではなく、単に遠慮しているだけである。

「うんうん、普段冷静な子が慌てているのって可愛いよね」

「同意できませんっ」

 いくら密着しても夜は冷える。ミレイズは片手でもう1枚毛布を取り出すと、ふわりと浮かせて自分とツバキをくるんだ。

 同時に、ツバキは抵抗するのをやめた。ここまで来て逃げるのは難しそうだし、どうやらこれ以上脱がされる危険もなさそうだ。幸い(?)、女の子同士で云々という発想がツバキにはなかったため、その他の身の危険も感じなかった。

 毛布の中は、二人の体温ですぐに心地よい温度になる。

「ごめんごめん、ちょっとツバキちゃんとお話したくて」

「それは……いいですが」

 なんで脱がす必要が? という疑問は飲み込んだ。

「ツバキちゃんって生まれはレヴェンドルク?」

「……はい、そうです。実は、日の国にはまだ行ったことがないんです」

「そうなんだ。じゃあ刀とかも全部コウガに教えてもらったのね」

「はい。最初は、父は女が刀を持つものじゃないって教えてくれなくて、ずっと見様見真似で稽古をしていました。でも隊のみんなが一緒に説得してくれて――」

 瞬間、ツバキは顔をしかめた。強い痛みに耐えるかのように。

 体が強ばり、毛布を掴んで強く握りしめる。

「そのおかげで……父も、私が本気だって認めてくれて」

 ミレイズはそっと、震える少女の肩を抱き寄せた。

「私もね、赤ん坊の頃からアステアだったの。ちょうどその頃、小さい子供なんかも何人かいて、大人たちで子供を守るのに大変だったってよく言われた。だからさっさと強くなって楽させろってね」

「……アステアにはそんなに前から人が――どれくらいの人が暮らしていたのですか?」

「んー、確か20年くらい前からって言ってたかな。少しずつ仲間が増えていって、最後は私たちを入れて26人ね」

「……そんなにいたんですか?」

「戦わないのも三人いたけどね」

 ここ1年で人々の噂に上がったアスティアン・ナイトはせいぜい十人ほど。だから、それは誰が聞いても驚く数だ。ただし、それが現時点での総数かと問われれば、ミレイズも確信は持てない。

「でも正直、アステアからみんなが逃げ切れたのかはわからないのよ。私とセシウスは私のせいで追いかけ回されただけだから他のみんなは大丈夫だったと思うんだけど……血の気の多い人の噂が聞こえてこなかったりするし、もしかしたら一人くらいやられちゃったかもしれないわね」

 それでも『一人くらい』、という点で、それほど心配していないことは伝わる。

「絶対一番大変だったのは私たちよ。本当に助からないって覚悟したし。まぁ? セシウスと抱き合って死ねるなら悪くないかなーとか、ちょっと思っちゃったりもしたんだけど……ね」

「そ……っそうなんですか」

 少し照れたように告げられた言葉に、ツバキの方が気恥ずかしくなってその体温をわずかに上げた。

「でも死ななくて良かった。初めてアステアの外に出てね、こんなにたくさん人がいて、食べ物とか武器とかが……そうっ、私こっちにくるまでお金のこと知らなかったのよ」

 現在、人間の国では2種類の通貨が発行されている。ストルクとエルメニアが共通通貨となる金貨、銀貨などの硬貨で、モーテルムでは紙幣だ。当然、それは人間の国で生まれれば生活の中に入り込んでくる。今では、僻地の村ですら商人が訪れる。

 しかし、アステアは完全に例外だ。たどり着ける商人はいないだろうし、そもそも人が住んでいることすら知られていなかった。

「あんなジャラジャラしたものが食べ物とか武器に変わるのが不思議で仕方なかったわ」

「アステアではどうしていたのですか?」

「食料はみんなで取りに行って適当に分けて、アイテムは基本取った人の物だから欲しいのがあったら交換ね。だからどんなアイテムを持っているかっていうのがこっちでいうお金と同じで、聖遺物をいくつも持っていたら大金持ちってわけ。欲しい聖遺物は聖遺物と交換なんだけどなかなか条件が合わなくてさ、その辺はセシウスが巧かったな。私はいいの見つからなかったのもあって、1回も交換してもらえなかったんだ」

「聖遺物同士の物々交換……ですか」

 仲間内で聖遺物をやり取りするなんて、カルチャーギャップもいいところだった。

 黒死旅団のアミュレットが持っていた『ガラドの右足』のように、聖遺物は一つで圧倒的な威力を持ち、所有すること自体がこの上ない名誉となる。シーカーの中には、所有する聖遺物にちなんだ二つ名を持つ者だっている。

「ミレイズさんも持っているんですよね」

 一般市民の感覚からすれば、聖遺物は『伝説の武器』に違いない。それを所有する人間が近くにいるというだけで、ツバキには感慨深いものがあった。

「うん、そこにあるそれ」

「そうなんですか、それが……えっ? それ聖遺物なんですか!?」

 ミレイズは軽いノリでさっき外したナイフのホルダーを指さしていた。そこには確かに、ミレイズが黒死旅団相手に使った普通のナイフとは異なる意匠のナイフが納められている。

(あれが聖遺物……さっき無造作に投げて置いたあれが……)

 扱いからしてまったくスケールが違う。ツバキからすれば触れることすら恐れ多い品であっても、ミレイズにとってはアイテムの一つに過ぎないのだ。

「これはちょっとマイナーな奴なんだけど……ファルール戦役の月下って言ってわかる?」

「すみません、神話は四大戦争くらいしか知らないんです」

「ううん、知らない人の方が多いから気にしないで。こっちの『バイブル』だとEランクだし」

「バイブル……『神話史における武具一覧とその評価』ですよね。シーカーの人たちが使う、聖遺物のランクが載った本」

「それそれ。物好きが神話を端から端まで読み直して、出てきたアイテムに勝手にランクをつけただけの本だけどね。読んでみたけど、すごい数載っているから驚いちゃった。1000個以上? 実際には200個もないのに」

 ツバキは呆気に取られた。

「数、なんてわかるんですか?」

「アステアには『グラディーロのスケッチ』っていうちゃんとしたバイブルがあるの。見た目も能力も全部知ってるわよ」

「あっ、それで黒死旅団の聖遺物がわかったんですね」

「うん、そういうこと」

 ミレイズは少し身を乗り出して手を伸ばすと、ホルダーからナイフを抜き出した。

 濃いブラウンの柄は木製。鍔は青み掛かった金属がなめらかな流線型を描き、中央には深い紫の宝石が埋め込まれている。白い刃は薄く、切っ先付近で刃の背が猫背のように曲がっていた。曲線を多用したフォルムは芸術的で、実用性より装飾性が重視されているのが見て取れる。

「……きれい」

 初めて間近で見る聖遺物にツバキは目を奪われた。ガラドの右足の禍々しさとはまるで違う。美しく、しかし派手すぎない。静謐さを感じさせる。

「これにもすごい力が宿っているんですよね」

 造形だけなら戦いとは無縁に見える。しかし、神話の歴史は戦争の歴史だ。そこに登場するアイテムも、戦いで力を発揮するものが圧倒的に多い。

「それが大した力じゃないのよね」

 しかし、ミレイズの言は淡泊だった。

「見せてあげる」

 ミレイズが目線を上げる。ツバキもそれを追うように夜の空を見上げると、そこにひらひらと舞う薄紫色の光があった。最初は何かわからなかったが、近付いてくるにつれてそのシルエットがはっきりとする。

「……蝶?」

 その形は蝶々そのものだった。といっても生物としての実体はない。蝶々のシルエットをした魔力体が、普通の蝶々のように羽を動かして飛んでいるのだ。

「そ。これが月下の能力」

「え、これがですか? これ……どんな力があるんですか?」

 ツバキは真剣に考えた。この蝶がいったいどんな力を持っているのか。しかし、目の前にしてもさっぱり検討がつかなかった。

「何もないわよ。これが月下の力なの。チョウチョを出せるっていう」

「え?」

 ツバキの思考が一瞬停止した。

 ――聖遺物(いわゆる伝説の武器)の能力→チョウチョを出せる

 遅れて、脳内でその図式が完成した。

「えぇっ!? それだけなんですかっ? いやでも、そのナイフの綺麗なイメージにはぴったり合いますけど、触れると力が吸い取られるとか、そういうのは」

「ほい」

 同じところをグルグルしていた蝶が動きを変え、ツバキの鼻先にぴたりと止まる。力を吸い取られるどころか、単純に魔力の塊が触れたという感触しかなかった。この蝶々が高密度の魔力の塊であることはわかるが、それ以上は何もない。

「なんだか、平和的な聖遺物なんですね」

 鼻先で羽を動かす蝶に、ツバキの肩の力が抜けた。

「この月下が登場する物語ってね、すごく素敵な恋物語なの。このチョウチョが男の子と女の子の間の、身分とか距離とか、いろんなものを越えてね」

 ミレイズが活き活きと語り、ツバキの瞳も興味の光を宿す。

「ロマンスとしてはガラドの『小さきもの』の方が有名らしいけど」

「あ、それは知っています。ガラドが小さくなって恋をするお話ですよね。なんか……あの『右足』を見たあとだと不思議な感じがしますが」

「『小さきもの』はバッドエンドだけど、月下の方はちゃんとハッピーエンドだから私は月下の方が好きなんだよね」

「あれ、『小さきもの』ってハッピーエンドじゃありませんでしたか?」

 ツバキは首を傾げる。ミレイズは一旦居住まいを正して(ツバキの抱き具合を正して)、ツバキのすべすべの頬に自分の頬をくっつけた。

「うーん、それって結婚までの話じゃない?」

「続きがあるんですか?」

「うん、そうなの」

 ミレイズはツバキにその神話の一節を話し始めた。

 二人の少女はしばし戦いを忘れ、神話の恋物語へとその心を飛ばす。

 


 

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はぐれ賢者と野良女神-神には神を- 16
 

 

 

 朝日の中で現れたエメラルドグリーンの輝き。煌めく水しぶきと共に現れた大蛇は絵画的でさえあった。脱皮したばかりだという鱗は一点の曇りもなく、まるで全身が宝石でできているかのようだ。

 姿形は確かに蛇だ。しかし、その巨大さが異様だった。沼から飛び出したその頭を見上げると首が痛くなるほど。胴回りは成人男性が六、七人両手をつないでやっと届くかというほどに太く、その口であれば人間十人くらい一口に飲み込めそうだ。

「うっわー、蛇ってでかさじゃないわね」

「ドラゴンと呼びたくなる気持ちがわからないでもないな」

「こ、こっち見ています!」

 グレイブニルの黄金の瞳は、まっすぐにセシウスたちを捉えている。

「さっきの『右足』で、縄張りを荒らしにきたと思われているのかもな」

 セシウスの冷静な分析にツバキはぞっとした。少女の人生で、これまで見た最も巨大な魔物はブルーオーガだった。グレイブニルは優にその10倍以上はある。

「オーガキラーもらうよりこの子連れて行ったほうが戦力になるんじゃない?」

「このでかいのをか?」

「ブルーオーガもひと飲みできそうじゃない」

「確かにな」

 ミレイズの何気ない言葉にセシウスが頷く。

 その眼前で、グレイブニルの体が鞭がしなるように動いた。元来蛇というのは非常に素早い動きで狩りをする生き物だ。グレイブニルも巨大な体を持ってなお、その特性を失ってはいなかった。

 鞭がしなるようにグレイブニルの頭が飛んでくる。空中で大口を開けると馬鹿みたいに鋭く大きな牙が覗いた。遠近感が狂ったかのような錯覚を持って高速で迫る大蛇が、一瞬で四人の視界を埋めるほどに接近する。

 速すぎる。コウガとツバキは純粋にそれを恐れ、とっさに回避するため足に力を込めた。巨大な岩石が飛んできたようなものだ。飲み込まれずとも、ぶつかっただけで命はない。

 そして、グレイブニルがまさに眼前に迫ったと同時に――二人を別の『死の恐怖』が飲み込んだ。

 発生源はただそこに立っているだけの金髪の青年――セシウスだった。

 コウガとツバキはセシウスから暴風が巻き起こったかのような錯覚を覚えた。命を掴まれ、侵食されるイメージに支配される。コウガでさえ呼吸を乱し、ツバキは腰を抜かしてその場にへたり込んだ。

 そして、なにより変化を見せたのはグレイブニルだった。ビタリと目の前で急停止したかと思うと、セシウスを警戒しながらゆっくりと沼の中へと戻っていく。そして十分な距離が離れたところで、恐らく全速力で――水中に身を隠した。間違いない。逃げたのだ。

「ばか! なに巻き散らかしてるのよ!」

 怒ったミレイズがツバキに駆け寄る。ツバキはその黒曜石のような瞳でミレイズを見上げると、ふとそこから涙の雫が流れた。

「あれ……あの、すみませんっ」

「大丈夫。変じゃない。大丈夫だから。落ち着いて」

 ミレイズが肩を抱き、背中を撫でる。

 その光景を見て、コウガは詰めていた息を吐いた。

「今のは一体……」

 まさか聖遺物を? と憶測するコウガの視線に、セシウスは気まずそうに明後日の方向を向いた。

「殺気を当てた……のですが、すみません、お二人のことを失念していました」

「殺気? 今のが、ただの殺気ですか?」

「ただの殺気じゃないです。セ・シ・ウ・ス?」

 責める口調で詰められ、セシウスは観念する。あまり明かしたい能力ではないが、ミレイズに睨まれては逃げられない。

「……俺には感情を直接見たり、伝えることができるギフトがあります。その力で殺気を直接精神にぶつけました」

「普通、五感を通さないでそんなことされないから誰も耐性なんてないの。だから二人が気絶していないのがすごいくらい。……こういうのはちゃんと相手を絞れって何回も言ったのに……」

 据わった目でじっと見られ、セシウスは居心地が悪そうに小さく首を縮めた。

「セシウスったら、アステアでさっきみたいなのじゃなくて、本気の奴を何度も私の近くでやったんだから。私の寿命っ、とんでもなく縮んだ自信あるんだから!」

「……いや、すまん」

 その訓練(?)の甲斐あって、ミレイズは先ほどのような疑似的な殺気であればスルーできるようになっている。だからこそ、ミレイズしかいない時と同じようにばらまく形で使ってしまったのだ。それにアステアで使った時も、意図的ではなかったり、身を守るために必要だったりと、無闇に使用したわけではない。

 が、当然、そんな言い訳を口に出すようなことはしない。憤慨するミレイズにセシウスは素直に謝罪した。

「まー今回はまだいいけど……洒落にならないことだってあるんだから気をつけてよね」

「肝に命じる」

「でもそういえば……」

 ミレイズはグレイブニルが消えた水面に目をやる。

「気絶しなくてすごいっていうのはあの蛇も同じね。ここら辺のはだいたい耐えられないのに」

「伊達に長生きしたわけじゃないんだろう。それに、気絶されたら意味がない」

「おっきかったよねー」

 話しながら、ミレイズはツバキに手を貸して立つのを手伝う。

「あ、ありがとうございます。グレイブニル……すごい大きさでしたね。蛇だって知らなかったら私も竜だと思っていたかもしれません」

「うん、確かにドラゴンを見たことなかったらそうかも。でもほんとのドラゴンって全然あんなものじゃないわよ? 目が合った瞬間泣きたくなったもの」

「お前の目が合った時は俺も泣きたくなったよ」

 ミレイズのギフトの都合上、目が合った魔物とはとことん戦う宿命だ。その厄介なギフトについて移動中に聞いていたコウガとツバキは、そのシーンをぼんやりと想像することしかできないが、さぞ絶望的な気分だっただろうとは思う。

「黒死旅団にグレイブニルでしょ? もう面白いのはいないかしら」

 本来はグデラからオーガキラーをもらうために少し寄るだけだったはずで、十分過ぎるくらいにアクシデントが続いているといえる。ミレイズの発言にセシウスは仕方ないと思いつつも呆れてしまう。

「ここでお前を満足させる予定はない。さっさと済ませるぞ」

「そっか、巣の方向わかったんだよね」

 グレイブニルはすぐ水中に潜ってしまったため、どこへ逃げ去ったのか目視ではよくわからなかったはず。その疑問を抱いた二人へ、セシウスが自ら解説する。

「俺のギフトは強い感情を色として見られるんです。グレイブニルには恐怖を植え付けたので、逃げ去った方向はわかります。その方角に巣があるはずです」

 

 

 四人が黒死旅団と戦い、グレイブニルの抜け殻を入手して戻るまで、時間にしてわずか1時間と少しだった。

「ふぉ、ふぅぉぉぉぉおおおお!」

 オレンジの煉瓦の家の前で、グデラは巨大な半球状の透明素材を目にして歓喜の咆哮(ほうこう)を上げていた。透明なドームの周りを、両手を上げて跳んで回って忙しない。

 グデラのリクエスト通り、巨大なグレイブニル抜け殻から、セシウスたちは眼球部分の抜け殻だけを入手した。抜け殻は目玉部分だけでもミレイズとツバキを縦に足したくらいの直径があり、セシウスが軽量化の魔法を掛けてやっと持ち運ぶことができた。とても家に入る大きさではなかったためここでのお披露目となっている。

「これじゃ、これじゃよ! 透明で鋼より硬く魔法を弾く神秘の素材『グレイブニルの涙』じゃ!」

 グデラはその髭面を擦り付け、もう恥も外聞もないといった体だ。

「ふーん、そんなすごい素材なんだ。ねぇセシウス、これで鎧作ったら丸見えね」

「鎧の下が見えても問題ないだろう」

「ほら、暑くて下着だけかもしれないし」

「……あちこち擦り傷だらけになるぞ」

「透明な剣とか作ったら強そうね」

 ミレイズが屈んで顔を近づける。グレイブニルの涙は光の反射、屈折がごくわずかだ。今は球体だから認識しやすいが、直剣に鍛えれば、日の国の剣術ほどではないにしても不可視の刃になるかもしれない。鉄より硬く軽いという性質からも、ミレイズにとっては魅力的な武器になるだろう。

「ねーね、グデラ、これで剣を作ってもらったりできる?」

 ミレイズが呼び掛けると一転、はしゃいでいたグデラは両手を体の脇につけて背筋を伸ばした。

「はっ、プリンセスの頼みとなれば無論全力を尽くしますが!」

「プリンセスじゃないからやめてっ」

 姫(プリンセス)――その単語にミレイズは露骨に拒絶反応を示す。

「おおっとすみませぬ。てっきり人間の王族でありますかと」

「次そんなこと言ったら踏んづけ――」

 ミレイズは言い掛けて、

「……ないわよ」

 途中で正しく言い直した。

「それはまずいですな! ははっ、承知いたしました!」

 長年の目的が叶ってテンションが高いせいか、グデラはもうフルオープン状態だった。

「ええっと……それで」

 ミレイズは眉間を押さえて疲れたように軽く頭を振ってから。

「剣、作ってくれるの?」

 確認すると、グデラは一転、腕を組んで厳つい顔にさらに皺を寄せた。

「喜んで腕を振るわせていただきますが、これだけの素材を加工するのには相当な時間が必要ですな。なにぶん初めて扱うものですから、正確な日数を出すのは難しいですが……3ヶ月から4ヶ月くらいでしょうか」

「剣1本にそんなに掛かるんだ……もちろん私としてはお願いしたいけど、そんなに手間を掛けさせちゃうのも悪いよね。グデラもこれで作りたい物があるんでしょ?」

 ミレイズは気遣いを見せるが、グデラは拳で胸を叩いて生き生きと笑った。

「なに、剣を鍛えるのは鍛冶師の本懐ですじゃ! あなた様に使っていただけるのであれば、これほど光栄なことはありませぬ!」

 その様子はまるで、王に「最高の一振りを鍛えよ」と命じられた鍛冶師のようであった。姫発言からして、恐らくグデラの精神状態は限りなくそれに近いのだろう。

「うぅ……嬉しいけど、なぁ」

 だが、ミレイズはそれを前にして素直に喜べない。気難しいと評判のドワーフがこれほどまでに慕ってくれるのは――ドワーフの残念な性癖を考慮しても――彼女のギフトが要因だ。これまでの人生で散々味わったデメリットに対するメリットだと思えば釣り合いは取れるのかもしれないが、それでも他人の感情を塗りつぶしてしまうことの罪悪感が払拭されるわけではない。

「それに、そもそもこの『グレイブニルの涙』が手に入ったのもあなた様のおかげです。その前に頼んだ黒ずくめの連中は、随分先に出た割に結局戻って来なかったですしな」

 ミレイズの心情を察したのか、グデラがもう一押しした。その発言を聞いて四人は顔を見合わせる。そういえば出発前に「他に頼んだ人間がいる」と言っていた気がするが、どうやら黒死旅団がそれだったらしい。図らずも同じ物を狙っていたようだ。

「咎人に使い走りをさせるとは……」

 コウガが神妙そうにつぶやいた。ギフトに掛かっていないグデラの偏屈さをイメージさせられる。

「それじゃあ、お願いしようかな」

 色々考えたいことはあったが、ミレイズは自分の感情に妥協点をつける。当人にフォローされてしまっては、これ以上の遠慮は失礼なだけだ。

「途中で面倒になったらやめてもいいからね?」

「不肖グデラ、これまで仕事を途中で投げ出したことは一度たりともありませぬ」

 ミレイズのギフトの効果は、ミレイズと離れていれば自然と薄まる。それを踏まえての発言だが、グデラの頑固な性格を考えれば、少しくらい薄まったところで投げだしたりしないだろう。

「うん、それじゃあ……私に合いそうな1本、お願いします」

「合点、承りましたぞ!」

 それからミレイズは今回の目的であったオーガキラーを受け取り、数ヶ月後の再会を約束。

 四人はゲルトシュタインに乗って、当初の予定通りレヴェンドルクへと進路を取った。

 

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